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『盛り場流し唄 新宿の女』がおもしろい

『盛り場流し唄 新宿の女』(1970)という映画を見たんだけど、かなりよかった。期待していなかっただけによけい沁みたのかもしれないが、相当よかった。

この良さをどう伝えればいいのか迷う。

最近見たいい映画といえばほかにもいろいろあって、『人喰いネズミの島』(1959)も力作だったし、『クワイエット・プレイス』(2018)も、評判通りのいい作品だ。

しかし、それらを差し置いても『盛り場流し唄 新宿の女』なのである。

テレビ黄金期の映画

1970年といえば、日本映画の暗黒時代と呼ばれた時期で、娯楽の王様だった映画がテレビにおされて斜陽化し、零落していた時期にあたる。

この作品を製作した日活株式会社も、二年後には「日活ロマンポルノ」へ路線を変更しており、映画会社自体が、まさに「食うために身を売る新宿の女」みたいな状態に追い詰められていた。

じつはそのころ僕はまだ2歳か3歳だったので、当時のことはよくわからない。リアルタイムで日本映画に親しむようになったのは角川映画が台頭してからのことだ。

その後、過去の映画にも目が向くようになったけど、角川時代(=角川春樹の時代)と、映画黄金期のあいだの時期については、認識がすっぽり抜けおちている。

当時はなんと言ってもテレビの時代であり、こころみに1970年ググってみれば、コント55号が売れ、三島由紀夫の割腹自殺がテレビで生中継された年とわかる。

ぼくは2歳だったので、「割腹自殺の一部始終が生中継される」ということのすごさをリアルタイムでは知らないけど、インターネットが出てきたときみたいな感じがあったんじゃないかな。少なくともテレビで三島が自決しているのに

『盛り場流し唄 新宿の女』を見に行っている場合じゃない!

という雰囲気だったのではないか。たとえていうなら、ChatGPTの時代に、

Windows 12のリリースを待ちかねて徹夜で秋葉原に並んでいる場合じゃない!

みたいな感じではなかったか。

1970年をリアルに味わえる

じっさい、欽ちゃんや三島由紀夫はいまでも語り草だが、ロマンポルノ直前の日活映画のことなどだれも語らない。

しかし、なんというか・・この映画に爆発力があるのは間違いないのだ。これを知らずにいるのは残念というかもったいないというか、コント55号や三島と同じで1970年の時代の空気を呼吸している。

ああした伝説がやがてセピア色になっていったのに対して、デジタルリマスターでいきなり登場した『盛り場流し唄 新宿の女』を通じて、1970年の新宿を初めて体験できた、みたいな驚きがあって、目を引く要素がてんこ盛りでいちいち紹介していられないので箇条書きにして終わりたい。

・85分の上映時間中に藤圭子がフルコーラスで5回も歌う

・若き日の小松政夫の切れ味がするどい

・藤竜也がむちゃくちゃかっこいい

・街が主役の群像劇みたいになっており、新宿でゲリラ的なロケをガンガンやっている

・若き日の月亭可朝がネタをしっかりやっていて、おもしろい

・『七人の侍』で若侍を演じた木村功が大川隆法そっくりでみまちがいそうになる(汗)。

などなど。ちなみにトップ画像はこの映画ではないが、

大川隆法の前世はブッダではなく実は木村功説

を裏付ける重要な証拠として提示しておこうと思う。

平和な場所が見つかった

藤圭子にしろ、月亭可朝にしろ、小松政夫にしろ、1970年のテレビ映像はぼけたVHSくらいしか残っていないだろうが、この映画の中では昨日撮ったみたいに鮮やかに映っていて「間がすごいな」とか「切れがあるな」とかたっぷり味わえる。

ただし、うるさい人がこの作品を見たら欠点と呼べるものもいろいろ見つかるだろう。しかし、SNSでコメントしている人々も、なつかしがっている好意的な評価ばかりで、利いた風な口で難癖をつけているような批評が見当たらないのも良い点だ。

そういう意味では、『人喰いネズミの島』よりも平和で、かつおもしろい場所が見つかってよかった。


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