高倉健やブルースリーのように勝つ

ぼくが少年だったころの週刊少年ジャンプは、みんな読んでいるイメージだった。

ぼくも、一時期周囲の雰囲気に押されて読んでいたが、もうひとつ入り込めない。

ジャンプは「友情・努力・勝利」だそうだが、「おれが勝つ!おれが勝つ!」というヤツがどうもしっくりこない。ただし好みの問題であり、けなしているつもりはない。

とはいえ、マガジンにもなじめない。

そういう消去法で週刊少年サンデーに流れついた無気力な連中が、ぼく以外にも一定数いたような気がする。

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こういうことを思い出したのは、以前、自分に影響を与えた漫画についてnoteを書いたときである。

ぼくがスキだったのは昭和時代の少年サンデーに連載されていた『がんばれ元気』や『タッチ』である。

二人のヒーロー像ってやけに共通しているな...とそのとき気付いたのだった。

かんたんに言うと、元気も達也も
・勝ちたいとあまり思っていない
・他人のために戦っている
・実際は強い

『タッチ』 のあら筋は有名なので省略するけど、主人公の達也はどうしても甲子園に行きたいと思っているわけではなく、あくまで、亡き双子の弟 和也の遺志を継いだだけだ。

では、その亡き弟はなぜ甲子園を目指していたのかというと、南ちゃんにアピールして口説き落とすためである。

そのためにスポーツもがんばり、勉強もがんばった。学校でもモテモテ。デキる弟だ。

しかし、南ちゃんは落ちない。なぜならみんなのアイドル南ちゃんは、もともとダメ兄貴 達也のことがスキだったからである。

というわけで、ダメ兄貴としては南ちゃんを落とすために甲子園を目指す必要はないのだ。もともと落ちているのだから。

彼が甲子園を目指すのは、弟の死を受け入れるためである。

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『がんばれ元気』もほぼ同じ。理想のボクサー父ちゃん(ほんとは三流ボクサー)の死を受け入れるために世界チャンピオンを目指す。

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達也も元気もキャラ的には「そんなに勝ちたいんなら負けてやるよ」というやさしいタイプである。

ただし、「和也(父ちゃん)を甲子園(世界戦のリング)に待たせているので申し訳ないけど今回は勝たせてもらいますよ」、という感じで高倉健やブルースリーのように哀しげに勝っていく。

やさしすぎるからこそ人の夢を背負ってしまう。勝利の先にあるのは達成感ではなく、死との和解である。

こうしたキャラの類似は、単なる偶然というよりは当時の編集部の方針だったのかもしれない。「ジャンプがそう来るならこっちはこうだ」という意思統一がされていたのかもしれない。

でも、当時の少年がそこから受けた影響には、計り知れないものがあったのであった。

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