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髪の毛というメンドクサイ問題

いい人生とは、結局のところ「いい気分で送れる人生」なんじゃないだろうか…というようなことを書こうと思っていたんだけど、なかなかまとまりそうもないのでやめにする。

かわりに、髪の毛について書く。

いきなり話が跳ぶようだが、さきほどまでいい気分で小説を読んでいた。で…「著者近影」ってあるじゃないですか。

ぼくが読んでいたその作家さんは、なぜか知らないけど、最近、公の場でぜーったいに帽子を取らないのである。著者近影も帽子をかぶったままだ。気になってしかたがない。

じつは、知り合いにもそういう人がいる。

2年ほど前、10年ぶりくらいに再会してみたら、喫茶店に入っても帽子を取らない。15歳くらい年上で、もともとは師弟の関係にあたる。

したがって、逆の立場ならば

「君、室内では帽子を取りなさい!」

と言われそうな状況である。

しかし、こちらから「先生、帽子を脱いでください」とは言いにくい。なので2時間ほどのあいだ「なぜ脱がないんだろう」とモヤモヤしたままで過ごした。

10年ほど前は帽子などかぶっていなかったが、そのころから十分に薄毛であられた。いや、ありていに事実を申し上げるならば、十分な薄毛というよりは、ほぼ残存していないという方が正確であろう。

それから10年して、すっからかんになったとしてもたぶん周囲の人は誰も気づかないはずだ。しかし、帽子を脱がないということは、おそらくご本人はQ太郎のような心境と言うか、ラストの一本に対するこだわりがものすごーく強いのではないかと思われる。

そう思うと、たずねるわけにもいかない。とはいえ、帽子を脱いでくれないのだから、これはあくまで想像の域を出ない。まったく異なる理由があるのかもしれない。

ともかく、このnoteは読んでないと思うけど、たとえ読んでいたとしても、「あっはっは~。気になっていたんですよ。すみません!」と笑って済ませるくらいの親しさである。

にもかかわらず、面と向かっては言いにくかったというか…タイミングを見計らっているうちに2時間たってしまったというか、モヤモヤしたままである。

まあ~ここは見てないと思うけど、王様の耳はロバの耳的な感じであえて言わせていただく。

先生、誰も気にしてませんよ~。

あー、すっきりした。

このように髪の毛の問題と言うのは実にデリケートである。いまだってこれを書いていいのかどうか悩みながら書いている。悩みがあるとイイ気分で生きられない。なのでぼくは7~8年前からボーズアタマにしている。

ちなみにぼくの額はやや後退しており、鬢は白くなっている。

なぜボーズにするとめんどくさくないないのかというと・・・髪の毛のめんどくささというのは「自意識のめんどくささ」だと思うからだ。まわりは、本人が思うほど気にしていないのだが、本人は周囲に気を使うことを強要する。たとえば、もろヅ○ラなのに、それを気にしない努力を周囲に要求する。

ぼくがボーズにしていれば、「ああ、この人の髪の毛には気を使わなくていいんだな」とわかるじゃないですか。

初対面の相手に対して「あなたがどうかは存じませんが、私はそーいうことはどーでもいいと思っているタイプでっす」ということを言葉を使わず、一瞬で意識共有できるのでラクだ。

触らせてと言われても「あっはっは~どうぞどうぞ」という感じである。

しかし、他人の自意識はもちろん尊重する。だから、先生に帽子を抜けとは言わなかったし、それ以外の人の髪の毛の問題に触れるつもりもない。今日は特別ということで・・・。

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