現実と仮想現実は区別できる?
『マトリックス』という映画があるんだけど、まあまあ有名な作品である。見ていない人もいるだろうけど、いまさら筋を説明するのもめんどくさいので、これを読んでいる人は「見ている」という前提で話を進めます。
さて、マトリックスの内部は「現実そっくりの仮想現実」なわけである。VRがどんどん発達していけば、あれに近いような、現実と区別のつかないような仮想現実を作り出せるようになるかもしれない。
さて、そうなったばあい、ホンモノの現実と仮想現実をどうやって区別すればいいのだろう?そもそも区別することは可能なのか不可能なのか?
『マトリックス』の主人公ネオ(キアヌ・リーヴス)の場合は、外側の世界からの働きかけがあったので、自分が仮想現実の内側に取り込まれているということに気づくことができた。しかし、外部からの働き掛けが一切なかった場合に、はたして内側から
と見抜くことができるんだろうかそれともできないのだろうか。
これはむかしから大問題とされていて、通称「デカルトの問題」と呼ばれている。デカルトというのは「われ思うゆえにわれあり」のあのルネ・デカルトである。
かれは問う。「自分はホンモノの現実を生きているのではなく、悪魔に魔法をかけられて、現実そっくりの夢を見せられているだけなのではないだろうか。そうでないと証明する方法はあるのだろうか?」と。
そして彼の答えは
というものだ。なんと神頼みである。まあそれもいいだろう。信じる者は救われるのである。。。しかし、できれば神様に頼らないで見抜きたい。
その後、デカルトの問題は、「水槽の脳」と呼ばれ、現在では「シミュレーション仮説」とも呼ばれている。
水槽の脳とは、「わたしが体験しているこの世界は、実は水槽に浮かんだ脳が見ている夢なのではないか」、という思考実験である。
「シミュレーション仮説」とは、
という議論だ。これをエライ学者がいろいろと論じているわけなんだけど答えは出ていない。つまり、ぼくらが生きているのが現実なのか夢なのかを決定的に区別する方法はいまのところない。
ところで、ぼく自身は、本物の宇宙に生きているということはわかるんじゃないかと考えているわけだけど、すでにちょっと長くなってしまったのでここでいったん終わります。
明日以降ぼくの考えを改めて書くかもしれないし、書かないかもしれない。いずれにしても一話読み切り形式で書くので今日の内容は忘れてもらってOKです。
ポイントは「自己同一性」すなわちアイデンティティにあると考えている。
夢の中で「自分が自分だ」ということをおもいだすと明晰夢(=夢を見ているとわかっている状態)に変わるじゃないですか。僕の考えでは、観測者の自己同一性さえ確保できれば、どんな世界であろうとリアルな世界だといえる。
ちなみに、人間は、自分が自分であることをすごくかんたんなことだと考えているけど、コンピュータにとってはぜんぜん簡単なことではない。というか今のところそんなことのできるコンピュータはない。あれは数字のカタマリでしかないからだ。
コンピュータの画面の中には、たとえばこの文章みたいに「あ」とか「い」とか「う」とか、いろんなデータが自己同一性を保って存在しているかのように見えているけれどもこれは単なる見せかけだ。じっさいには毎回ゼロから(超高速で)数えなおしているだけである。
この基本に立ち返らないと、VRについてどんなに難しいことをいってもむなしいと思うんだけどなあ。しかし世界中の偉い人がそんなことに気づいていないとも思えないし。。。まあ、あまり吹かしたことをいうのはやめておきます。
今日のところは、「この宇宙がリアルなものかどうかを見抜く方法はいまのところない」という無難な結論でいったん終わります。
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