見出し画像

大半の「なるようにしかならない」は気休めでしかないが本気でそう思っている場合もある

世の中には意味のないことばというものがある。困ったときに「まあなるようにしかならないから」というのもそれだ。口癖のように使われるが、その割にはほんとうに「なるようにしかならない」と落ち着いていられる人はほとんどいない。

大半の「なるようにしかならない」は「まあ大丈夫だろう」と根拠なく言っているだけである。「取って食われるわけじゃなし」と言っているのと変わらず、無意味なコトバだ。暑いときに「暑い暑い」といっているようなものであり「南無阿弥陀仏」をとなえているようなものであり、気休めの呪文でしかない。

ぼく自身は「なるようにしかならない」と人から言われたことはあるけど、自分から言ったことはないと思う。そういう性分ではない。「まだほかにやれることがある」とか「まだわからないことがある」という気持ちを抱いて生きてきた。

しかしいま、生まれて初めてかなり本気で「なるようにしかならない」という気分になっている。まあスッキリしているわけだ。

このnoteも、書きながらずーっと奥歯に物がはさまったような気分でいた。とくにこの1年はそうだった。表面はなにかおもしろそうなことを書いていたとしてもこころの中はずっとわだかまっていたのである。

それが解消されつつあり、なんとなく見通しが立ったような感じがしているのである。見通しといっても明るい見通しが立ったわけじゃない。暗い見通しであろうと、最悪のラインがはっきり見えた気がしている。そして、見通しさえスッキリと立てばそれでこじんてきには明るくなれるタイプなのである。

そういう意味では世の中の行く末に対してあまり興味が持てなくなってきた。人間はしょせん人間だ。いいことも悪いこともやれることには限界がある。というわけで今日は「なるようにしかなりません」という以外に共有できる情報がないのだが、ぼく自身はほんとうに「なるようにしかならない」と思っているのである。しかし、これを100回書いても読んだ人には気休めしかならないだろう。しかし、ぼくがいま本気で「なるようにしかならない」と思っているという事実は残る。まあいずれにしろ、なるようにしかならなりませんので。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?