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色気と食い気はどちらが先か?

「色気より食い気」という言い回しがあるが、この表現が成り立つのは両者が二者択一の問題だからである。色気と食い気はどちらかを選ばなければならないものだということが前提になっている。

ぼくもその通りだと思っており、色気と食い気は共存しないと考える。たとえば、「お寿司屋さんに入って横にすわった客の香水が強いと食欲が落ちるのでやめてほしい」という話をきいたことがある。カウンターのお寿司屋さんにはほとんど縁がないが、焼きそばからいい匂いがするのと、異性からいい匂いがただよってくるのが別モードだということはわかる。人間は両方を同時に味わえるようにはできていないのではないか。

しかし、ここに大きなナゾがある。・・と、ここでいきなり話が下品になるんですけど、女性をモノ扱いするつもりではないので引かないでくださいね~。そのナゾとはじゃじゃーん「女体盛り」である。これはエロと食い気の共存ではないだろうか?

しかし、個人的には、女体盛りはありえないと長年思っている。あんなバカげたものが本当にあるのだろうか。都市伝説ではないかという気もするのだが、中国人男性のあいだでは「日本といえば女体盛り」というイメージがあるそうだ。真偽はともかく、中華料理でやってもフランス料理でやっても成立しないのは確かで、日本料理だから成り立つというのは船盛りにつうじる面がある。

ちなみに、ぼくは船盛りもあまり好きではない。2018年に食べる機会があったんだけど、「職人さんはこんなものを作りたくて料理しているのだろうか。給与のためにやむを得ずやったのだろうか」という思いがちらついて味に集中できなかった。食べ終わった後に大きな船が残るのもむなしい。船盛りですらこれなので、目の前に女体盛りがでてきたら食い気が消滅するだろう。

そもそも女性のカラダに刺身を盛りつけている板長のすがたを想像するだけで痛々しい。はたして板長は女性に「ちょっと冷たいけどがまんしてね~」などと言ったのだろうか。また、だまってお皿代わりになっている目の前の女性はいったい何をかんがえているのだろう。借金のカタに取られたのか、やくざにおどされているのか、それともシャブ漬けになっているのかなど、北方謙三的な想像が広がってしまって刺身どころではない。性欲と食欲はベクトルがちがうのである。色気に集中したい場合は刺身がじゃまになり、刺身に集中したい場合は色気がじゃまになる。

しかし、女体盛りの謎を追求していくと、結局はキャバクラや銀座の高級クラブに落ち着く。「接待を伴う飲食」というやつだ。接待とは色気のことであり、飲食とはベクトルが違う。ほんとうに飲食したい場合、セクシーな異性とからだをくっつけているのはじゃまだし、逆に、異性をくどきたいと思っているなら、おいしい物はじゃまだ。

そう考えると、銀座の高級クラブで出てくるといわれるフルーツの盛り合わせとか、異様に高いポッキーやアタリメなどは納得できる。本気で食べるものではなく、色気のじゃまにならないアリバイ的な物なのだろう。

つまり食べ物は色気のアリバイに使われることがある。逆に、色気は食べるための誘いに使われる。「接待を伴う飲食業」はみなそうで、キャバ嬢もホストも食べていくためにセクシーな接待をやっているのである。クジャクが羽を広げたり、植物がきれいな花を咲かせるのとおなじで食うため(生存のため)に色気を使っている。

そうすると、立場が強いものは色気を求め、立場が弱い者は食うため(生存するため)に色気を提供するという構図になる。日本経済が強かったころ男性は「売春ツアー」などをやっていたそうだが、経済が弱くなってからは中国人観光客に女体盛りを要求されている(らしい)。ならば、それと同じで、男性自体、今後立場が弱くなるにつれて、生き残るために色気を求められるのではないか。

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