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はじめての液晶テレビ

アナログ放送が終了したのは2011年だったはずだ。終了当日、ウチはアナログテレビを使っていた。終了と同時にプツッと切れるのだと思ってその瞬間を体験したくてずっーと見ていたのだが、テレビは切れなかった。そういうことのないように移行期間のようなものが設けられており、こちらがアナログ信号を受信しているつもりでも勝手にデジタルに切り替わっていたらしい。

そんなこんなであれから10年たつけど、ウチではずっとアナログテレビを使っている。理由は色々あるけど、ぼくがブラウン管がスキだということが大きいだろう。VHSビデオやレーザーディスクなどのアナログでむかしの映画を観るのがスキなのである。

それでもあまり長いことブラウン管ですごしていると、液晶テレビをくれる人が出てくる。「粗大ゴミにするくらいなら」ということらしい。そういうわけで2か月くらいまえにビエラとディーガというのをいただいた。10年以上前のモデルでなんの期待もしておらず、もらってから最近まで放置したままだった。

しかし、1週間ほどいまえにしかたなくブラウン管を外してビエラとディーガに置き換えてみたところ、それ以降、なんだかテレビを見てしまう(笑)。

別にオリンピックを見ているということではない。じっさいのところ、何かを見ているというよりもテレビ画面そのものを見ているのである。仕事の最中にトイレに立ったりすると、なぜかテレビが気になる。すわって5分だけテレビをつけて見て、それからまた仕事に戻る。夜中にトイレに立ったときにもなぜか5分だけテレビをつけて眺めてしまう。この一週間そういうことをくりかえしている。なぜそんなことになるのかじぶんでもわからないというのが今日のテーマです。なんなんでしょう。稲川淳二さんのモノマネで有名なB.B.ゴローさんなら「もちろん霊のしわざですよねぇ」と言うだろう。

画面が大きくなったかと言うとそんなことはなくて32インチである。ちなみにこれを書いているPCモニターも32インチだ。しかもモニターは2Kなので映像の細かさでいえば倍の差がある。しかし、PCモニターにはまったく存在感がないが、テレビはなぜか存在感を主張してくる。ちなみにモニターは60cmくらいの距離で見ており、テレビは2mくらい離れてみているのに、それでもテレビの方が存在感がある理由がまったくわからない。霊のしわざだろうか。

アンテナにつなぐ前、このテレビはまったく存在感を発揮していなかったが、設置してからやたらと存在感を主張してくる。まるで舞台に上がったらデカく見える俳優さんみたいである。

もしかしたらおなじ32インチでもモニターとテレビでは大きさが違うのかと思ってさっき巻き尺で測ってみたけど(暇か!)対角線がテレビはちょうど80cmで、PCモニターも80cmでまったく同じなのである。

理由がわからないままで書き始めたのだが、ひとつ思いつくのは、もしかするとこの10年余りのあいだに、テレビのコンテンツ自体がデジタルに合わせて変化していったのかもしれないということだ。音楽もデジタル化してからじょじょにつくりが変わっていったような気がするので、テレビでもこの10年で似たようなことが起こっていたのかもしれない。

それをしらないままでブラウン管を見ていて、急にその変化を実感しておどろいているのだろうか。しかしそれでは説明できないこともある。アナログ入力端子にVHSビデオをつないで見てもなぜか新鮮なのだ。まるでウチに転校生が来たような感じでみょうにソワソワしている。

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