50年後の未来から振り返る奇跡のような光景について

昭和40~50年代、ウチの近所では魚は行商のおばさんから買っていた。

魚売りのおばさんは、その日漁師から仕入れた魚を木製のカートのようなものに乗せて近所の町内を巡回していた。

ウチの前あたりにくると近所の主婦が集まってきて取り囲み、世間話をしながら夕飯の魚を買っていく。鯛やカレイが出ている日もあれば小魚ばかりの日もあった。僕は祖母と一緒によく買いに出た。

何十年も思い出したことのない光景なのに最近よく思い出す。

当時はごく日常の出来事でなんとも思わなかったんだけど、今になって振り返ると、同じ国ではないような、ありえないような、奇跡のような光景に感じる。

昔は良かったと言いたいわけではない。郵便局は不親切だったし、汲み取り式の便所はイヤだったし、美味しい食べ物もきれいな洋服もなかった。

しかし、今から50年後に子どもたちが現代を振り返ってもこういう感じがするのだろうかとふと思う。満員電車のバカバカしい記憶とともに、今はごく普通に受け入れられている何かが奇跡のように思い出されるのだろうか。だとすればそれは何だろう。

僕が思いつくのは、
・レジで人間が「ありがとうございました」と言ってくれること
・居酒屋などでバイトの若者がたくさん走り回っていること

近所のスーパーでは自動レジが当たり前になったし、少子化が進めばバイトの若者が街にあふれることもなくなるだろう。するとこんな当たり前の光景があり得ないことのように思い出されるようになるのかもしれない。あるいはもっと別の何かなのか。

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