見出し画像

人格者 渋沢栄一の性欲について

今年の大河ドラマは渋沢栄一だったそうだ。念のため調べてみたら今から最終回の放送だそうである。まるでNHKに便乗しているみたいで格好悪いんだけど、昨日、以下の記事を読んでからウーンと考えさせられている。渋沢栄一は世間で知られているとおりの懐の深い人物だったようだが、同時に英雄色を好むというか、大変な艶福家でもあったらしい。

作った子供の数は50人と書かれているが、遊郭での遊び方も豪快なものだ。性欲の強さは、あのヤマタクこと山崎拓元衆議院議員をうわまわるだろう。

ぼくは大河ドラマは見ていないけど、かつて本多静六『私の財産告白』という本を読み、渋沢栄一にはそうとうの敬意を抱いていたので複雑な気分である。

そもそも本多博士自身がたいへんな人物なのだが、何度か登場する渋沢栄一もそれを上回る懐の深さを見せる。

本多博士はまだペーペーの助教授だったころ「埼玉県の学生のために育英資金を集めよう」と思い立ち、郷土の先輩に援助を頼もうと渋沢宅におしかけたそうだ。渋沢はかなりの興味を示したものの、

趣旨はなかなか結構だが、日本の国情はまだそこまでいっていない。富豪、実業家も目覚めてはいない。いずれその時期も来ようが、いまは尚早だ。 それに自ら、発起して奔走しようという君がいったいいくら出そうというのか

と、やや冷笑的に出てきたそうである。そこで「お恥しくて自分からいい出せなかったのですが」と貯めこんでいた300円を取り出す。すると

渋沢さんの軽侮を買うと思いのほか、その顔色がたちまち真剣になってきた。「ホホウ、三百円をねえ。学校教師の君が出すというのか。それだけ熱心ならば、やってやれないこともあるまい。

とがぜん本気で乗り出し、その後生涯にわたる献身ぶりを見せる。また、上記の記事では、その誠実な人柄が数々のお妾さんにまでおよんでいたことが記されているので、やはり立派な人物だったのだろう。

ただし、渋沢がもっとも愛した正妻からはこうも言われている。

『論語』とは上手いものを見つけなさったよ。あれが『聖書』だったら、てんで守れっこないものね

キリスト教は姦淫を禁じるが「論語」には性に関する戒めがほとんどない。つまり『論語』を説き人格者と言われる渋沢にもなかなか計算高いところがあったことになる。

また、当時の遊郭はそうとう悲惨な所だったらしいが、豪遊することはあってもなんとかしようという気にはならなかったようだ。

そこで思い出されるのは、溝口健二監督のさまざまな映画である。かつて日本映画で遊郭を描いたら右に出るものがないと言われた溝口監督だが、その作品は終生、女性の目線に立ったものだった。ただし、人間としては渋沢栄一とは対照的に、小ぎたなく小ズルい人だったことが知られている。

雄大な人格者で遊郭で豪快に遊びまくった渋沢栄一と、遊女の悲惨を描き続けた小ぎたなく小ズルい溝口健二を2021年という地点から振り返ってみると、ぼくはなんとなく小ぎたない溝口健二の側に立ってしまいたい気分になる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?