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貧しさについて

ぼくは半年に一回実家に帰省するのだけど、その理由はトイレを掃除するためである。これはユーモアでも皮肉でもなんでもない。文字通りの意味で、「父親のよごした便所をクリーンにする」ために感染におびえながら羽田を飛び立っている。

父からは

なぜそんなに頻繁に帰ってくるのか

といつも聞かれるが、そのたびに

トイレを掃除するためだ

と正直に答えている。しかしかれは笑っている。冗談だと思っているのだろう。幸せとは「知らぬが仏」ということだと思い知らされる。

この人は、母親ひとりの貧農の八男坊として生まれ、ケモノのように育った。しかし、じぶんがヒトの型をしたケモノだということに生涯気づいていない。

ぼくが子どもの頃、ウチでは父のトイレが汚いことはずっと禁句だった。口にすると猛烈に怒り出すからだ。

ぼくがまだ小学生だったころ、かれは親戚の家でウンコをしてそれが汚いとその家の子に文句を言われたらしい。

帰ってきてずーっと怒っていたが、当時まだすなおなだったぼくは、父が正しくて、親戚の子が無礼なのだろうとおもっていたものだ。まさか40年後にその掃除のために飛行機で往復することになるとは思わなかったので人生ってほんとに不思議である。

ちなみに半年に何回かの掃除したていどでは、365日テレビとトイレを往復をし続けている人に勝つことはできない。

ぼくが必死で掃除するトイレも、妻に言わせると臭くて耐えられないそうである。だから5~6年前から実家には寄り付かなくなっており、ホテルに泊まる条件なら帰ってくれる。

ところで、日本はかつてずいぶん貧しかったので、ケモノのような親を抱えた人はぼくらだけでなく日本中にいるはずだ。

ぼくも弟も、もしそのまま地元で過ごして、18歳で結婚して5人の子どもを抱えて金のネックレスをしてミニバンでイオンに通う人生を歩んでいれば父と共存できたのかもしれない。

しかし、ふたりともどういうわけかあるとき知恵の樹の実を食べてしまい、じぶんがケモノだということに気づいてしまったのである。そして、ケモノである自分をかくして、人間のふりをして世間に出て行った。

弟は○○士で、裕福な生まれの高学歴の人と結婚した。つまり自分のやり方で足りないものを身につけていったのだろうが、ぼくはまったく別のやり方をとった。あらゆる豊かさを映画から学んでいったのである。

飲む打つ買うしか知らない人のうちでそだっても、映画さえ見ればアメリカのインテリが女性を口説く姿をまなべる。物質的な豊かさも、知的な豊かさも、それ以外の豊かさも、映画から盗めばさいしょから知っているかのように装える。

映画は素晴らしい。

現在のぼくが一番たえられないのは裕福で知的な人にありのままの父を見られることである。「この兄弟は人間のふりをしているけどほんとはケモノの子どもなのだ」と一発でわかるからだ。優しい人は、ぼくらがケモノの素性を隠していることに気づかないふりをしてくれるが、その気づかないふりに気づいて心の中で泣く。

今ではデビッド・リンチがどうたら言っているぼくであるが、秘密警察があの父親を見たらぼくが人間じゃないことは一発でバレる。

そして、番号の入れ墨を入れられて、貨物列車でアウシュビッツに連行されるか、金のネックレスでつないでミニバンでイオンに連行されてしまうのである。

映画『飢餓海峡』は、三國連太郎の演じる富裕な経営者が、過去の貧しさを隠すために殺人を犯す話だが、身につまされる。

ぼくは、父が死んだらその存在は写真以外すべて葬り去り、母に精一杯孝行して明るい人生を送る予定だった。弟もそう思っていたはずだ。しかし実際は逆になっている。いまは母のブレーキが効かなくなった父を世間にさらす日々である。人生ってほんとうにうまくできている。

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