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雨宿り

昨年のおおみそかには「来年はタイヘンなことになるな~」と気を引き締めていたことをおもいだす。

みなさんこんにちは~。

さて、

オートバイで「このコーナーを曲がり切れるか」心配になってついガードレールに目を向けるとカラダが起きてしまい、車体はどんどんそっちへ向かっていく。

いっぽう、自動車事故に巻き込まれるときはあらかじめ体を突っ張っていた方が衝撃が少なくてすむ。

前者は「強気でいったほうがうまくいく」パターンであり、後者は「最悪の場合にそなえていた方が助かる率が高い」パターンである。

どちらが適切かはTPOによって異なるし、性格によっても異なる。

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さいきん、Twitterなどで「なるべく楽しいことに目を向けるようにしています」といった趣旨の投稿をよく目にする。

たのしいことに目を向ける「ようにする」というのは、世間にイヤなことが多いから、意識的にやりすごそうということだと思う。「やりすごす」のは雨宿りのようなことである。どこかの軒先をかりて一時的にやりすごすような感覚なのだろう。

雨宿りの前提になるのは、これが通り雨だということだ。台風のまえぶれだとわかっていたら、軒先を借りてのんきに雨宿りをする人などいない。濡れてもいいからいそいで家へ帰るはずである。

「なるべく楽しいことに目を向けるようにしています」的な投稿を見るたびに、「雨宿り」とか「巣ごもり」とか、ひと時をやりすごそう的なコンセンサスが社会に浸透しているのだな~と感じる。正常性バイアスというのは、人間にひつような心理的メカニズムなのだそうだ。

これ以上悪いことは起こらないとおもっているということだろうが、ぼくはちょっと違和感がのこる。むしろ、「今年は悪いうちに入らない」という気持ちの方が強い。今日はじめて書くけど、365日前にもじつはおなじことを思っていた。「2020年にはいろいろあるだろうけど、まだ入口なのだな」と思って気合を入れていた。

このきもちは、ことしさまざまな追加のネタをつかんだことで、強まっている。一気に何もかもが悪くなるとは思わないし、一時もち直して景気が良くなることもあるだろう。だが紆余曲折しつつ5年くらいして振り返ったら、あのころはマシだったと思うことだろう。

「お前の言っていることぜんぜん外れたじゃん(笑)」と5年後に笑われたい。そのためになにができるのか。それをいつも考えている。

さしあたり、上記の内容を2020年12月31日の発言として残しておく。「カラダを突っ張っておいた方がいい」という判断だ。

今年スタートしたこのnoteも272回になりました。おつきあいいただいたみなさんどうもありがとう。来年も一見バカバカしいけどじつはダイジなことを書いていきます。

よろしくお願いいたします。

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