自分がピンとくるような人になりたい
身もふたもない話をしてしまうと、ぼくはSNSに社交みたいなものは求めていない。気晴らしも求めていないし、共感も求めていない。求めているのは情報だ。
情報といっても、ニュースみたいなせまい意味での情報ではなくて、発信者独自の視点や考え方や蓄積された経験などもふくめた広い意味での情報だ。
テレビにはニュース解説番組というのがあるけど、あれなんかが広い意味での情報である。単なるニュースなら「○○が爆撃されました」とか「景況指数が発表されました」だけでいいわけだけど、専門家がああだこうだ解説してくれる中で、その人独自の視点やら経験値みたいなものが感じられる時があるじゃないですか。
そういうものもふくめての情報だ。
映画だって同じで、見終わって「ああ面白かったな」だけで終わるのもいいけど、淀川長治さんの解説記事を読むと
などとわかったりする。そういうのもふくめた情報である。
しかし、いま世間には一人の人間が消化するのはまったく不可能な量の情報があふれているので、必要なものだけをシビアに選別しなければならない。
そして、ぼくにも独自の選球眼というか、自分なりの線引きがあって、今日は、その選球眼みたいなことについて書いています。
ぼくは好きな物でも捨てることがある。・・たとえば『孤独のグルメ』の昨年の分を撮りダメしていたんだけど、最初の2話だけ見てあとは削除した。面白くなかったわけじゃないし、好きなので消すのはためらいがあったけど時間が足りないのでしかたがない。
いつか、ゆっくりと見れる日が来るだろう。そのときまでごきげんよう。という感じである。
そうやって好きなものを捨てる一方で、どうしてもこの人の書いたものだけは読まなければならないと感じる人も相当数存在する。
たとえば西暦2000年からずーっと購読している無料メルマガがあるんだけど、「22年も続いている無料メルマガ」なんてそんなにないので、詳しく書くとバレそうだからぼんやり書きます。
週に5回配信されて、執筆者はそれぞれ別の人だ。つまり5人それぞれの切り口があるわけだが、ぼくが読むのは木曜日の人だけである。
『孤独のグルメ』すら捨てているのだから、そのあたりの線引きはシビアにやっており、木曜担当以外の方々については、
・視野が狭い
・考え方が下品
・バランスが悪い
・粘着している
などの理由で(エラそーなことを言ってほんとすいません)、22年かけて徐々に捨てていったんだけど、それでもミスター木曜だけは毎回チェックしなければならないと感じる。「孤独のグルメ」をさしおいても読む。
こんな感じで、ネット記事でも「この人だけは・・」という人が10人くらいはいる。アマゾンレビューにもそういう人が数人いて、たとえば、今は素粒子論と宇宙論に詳しいあるレビュアーさんに注目している。
その人がある本をほめつつ反論していたんだけど、その様子がタダものではなかった。15冊くらいを引用しつつの長文の反論で、雰囲気がどこかしら異能の人っぽい。こいつを見逃してはいけないとピンときた。
だから、彼が引用した本はぜんぶ買ったし、他のレビューもぜんぶ目を通した。というわけで・・
と思うのである。かりにぼくが自分とは別人だったとして、ぼくのnoteを読んで
とピンとくる人ような匂いを出したいなあといつも思っている。自分で言うのもなんだけどかなりハードルが高いので、見果てぬ夢だがなんとかして
近づきたい。
このあたりは人それぞれなので、共有できるものではないだろう。ぼくは
と毎日思っており、自分でも「まあまあイケてるな」と思う日もあるけど、今日は、ちょっときびしいっスね。
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