「なにを言うか」でなく「なにを言わないか」

世の中には、誰もがついモノ申したくなる出来事というのがある。

しかし、その多くは時間がたてば自然に白黒がつく。
「歴史が証明する」というヤツである。

なので、外野はだまっているほうがいい。

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現ソフトバンクホークス監督の工藤公康氏は、現役時代に 巨人に移籍した際「カネでつられた」と叩かれた。

でもその後もさらにベイスターズ、そして西武へと移籍したけど「カネ」は話題にならなかった。

彼の現役時代をトータルで見れば、自分を必要としてくれる場所で活躍したい、という選択のくりかえしだったことがわかる。

そういうことは時間がたてばだれの目にもあきらかになるので、外野はごちゃごちゃ言わないでだまって見ていればいい。

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元貴乃花親方が相撲教会を離脱した際も、「国政選挙に出る布石だ」といううわさが立った。でもいまのところは出ていない。

10年も見ていれば、彼がどういうつもりで辞めたのかはだれの目にもはっきりするはずだ。

昨日、小学生ユーチューバーというのをはじめて観た。
これについても同じことがいえる。

10年みていればだれにでもわかる結果が出る。
それまで、見たい人は見て、見たくない人は見なければいいだけだ。

当面の問題については、関係者(家族、学校、教育委員会、文科省)以外に口をはさむ余地はない。

今はだれもが発言できる時代なので、みんなが何かを言おうとする。

だからこそ、この人は「なにを言うか」よりも「なにについて言わないか」を見るほうがわかりやすい。

少なくともぼくはそこを見ている。

あえて沈黙をとおした姿をみて、その人への信用が高まることが多い。

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