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ジブリはストーリーだけではなかった。作画の色の置き方にも魅了されてしまいました
とっさに絵を描きたくなる時があります。
美大なんて都会に出てきて知りましたぐらいの感覚で、
本格的な世界などとは縁が遠いのですが、
書くということには、小・中学校の図工の時間で抵抗はなかったです。
そんな私は、普段にはないほど今何か書きたい!
そう思って、家から一目散に100均一に行って絵の具とパレット・絵筆を買い出しに行きました。何を描きたいのかこの時は浮かんでいないのですが、色鉛筆のこすりながら色付けていく感覚で解放されたいより、筆で水彩の絵を書きたい感覚になっている日でした。
昔のお話をちょっと話しますと、幼稚園から年少まで家にある図鑑や童話の絵をノートに模写するのが大好きでした。図鑑のチンパンジーや童話の浦島太郎の亀を書いたり、仕事から帰ってきたお父さんに褒めてもらうのが日課でした。
アニメーションや漫画をかけるかたは、本当にすごいなと日頃から尊敬の眼差しでした。漫画を書くのが好きな友人に絵を書いてもらうとワクワクしてました。
中でも、ジブリは大好きな方は多いですよね。うちの実家もジブリのビデオはありました。今思うとディズニーはなかったんですよね。不思議。今度聞いてみようかな。
宮崎さんをはじめスタジオジブリの作品が出来るまでのメイキング映像なども大好きでした。それだけでにとどまらず、本も書いてどんな空間の中で一つのゴールに向かっていくのか、年齢と共に興味津々になりました。
1枚目は、ライオンが好きなので、無性にホワイトライオンが描きたくなってgoogleでホワイトライオンを検索し、なるべく好みに近い写真を選びました。なんとなく、淡いタッチが好きなので、白の用紙にどうやってホワイトの毛並みを表現しようかと手が動くままに書きました。
技法なんてものは持ち合わせてないので、その時の思い通りにストレス発散になることを一番に進めました。
結局、犬みたいになりましたかね。。笑
仕上げたい角度と全然違ってしまったのですが、なんとなくこの時はこれですっきり。ハートを描きたかったわけではないのだけど、なんとなく、柔らかいピンクのまあるくてあったかいものを見たくなって、ハートっぽく書き添えました。
まだまだ、描き足りないなと思い、次にずっとかわいいなって思ってるヤックルをなんとなく描きたくなり、ジブリの中でも一番タイプであるアシタカも描けるかなと思い、筆入れし始めました。
スタジオジブリの作品が出来るまでをおった特集番組をみたことがあり、
鈴木さんと宮崎さんのやり取りの中で、
「色をもっとこうしないとここの表現がうまく表せない」という場面がありました。(詳しい会話の内容は覚えてないので、会話の雰囲気です。)
なるほど、同じ色でも一色違うだけでもこんなにも伝えたい表現が変わってしまうことを議論されているなんて、作品が出来るまでの時間に想像できなかった背景がいっぱいあるのだなと感心しきりでした。しかし、今回いざ描き始めてその感想はまた違いました。
日中に日を浴びる被写体が太陽が当たっているかいないかだけの違いのみで色が載せられているのではないということ。専門の方ならば当たり前のことでしょうが、私には、はじめの遭遇でそれはそれはウワワワっと湧き上がってくる何かを感じてしましました。
模写する時は、本当に瓜二つと思ってもらえるほどに、書き上げることができた時に達成感も大きく、夢中になれて好きなのですが、ジブリ作品の凄さを目の当たりのさせていただいてしまったのでした。
思いつきで買ってきた絵の具で近い色に持っていけて、白紙の紙から好きな虚像が完成できたら、今日は満足出来るだろうと思っていました。
もうもうもう!
全然違っていました。参考にしてる物を何度も見ていても一筆一筆、いや、もう一点一点と言えばいいでしょうか。細かい一色一色の変化で、私たちが大好きなジブリの「味」である、短な存在感や、聴覚・視覚から入ってきているであろう共通する世界感があるのです。
ただ薄いの・濃いのをそこに載せればいいわけではないのです。
それだけでは、一向に近寄らない、むしろ自分がみてきた映画なのに、あの世界の中で生活してるわけではないのに、あの色使いでないと、あの世界は成り立たないだという衝撃が押し寄せてきました。
一点一点、一色一色から伝わる心情にあの時みた議論していた場面が回想され、これほど淀みなく、「すごー!!」ってなったのは初めての感覚でした。
ジブリの作品は、映像でアニメーションなのに、自分はその世界にいたのかなと思うほど、幼少期からの肌馴染み浸透力に、大人になって自分で模写で体験して発見されました。
ヤックルの描き始めた頃
なんとなく、真っ白な紙の上に、浮かび上がってくる感じがこの時はワクワクしていたのです。
が。。。
描き始めて、アシタカに辿り着く頃、平面感が拭えないことに気づき始め、走ってくる躍動感をこの一枚の中に、衣服やヤックルに書き起こせなくて、手が止まり、参考にしている物を観察し始めてしまいました。
あんなに、気持ちの解放の為だからと下手でも方向性どっか行ってしまっても、気持ちが動かしたいように手をさばこうと進めていたけれど、
ジブリ作品の仕事っぷりというのがいいのでしょうか。いや、もっと感動的に表現したいのですが、とにかく「プロ」を感じることでジブリ作品の奥深さを20年近くの時を経て重みを感じました。
また、サイド作品を一つ一つくまなく観察したくなりました。
結局、最後まで書きあげる体力が尽きたので、完成しないままでしたが、
あまりにも、自分にとって衝撃的な出来事、体験だったので絵も捨てずに残していました。
この絵を何度見ても、私は自分に対して、よくここまでかけたものだなと感心してます笑
ここで止まってしまって、アシタカの目や衣服のシワをもっとしっかり入れたりできない理由も、なぜかなのかわかります。
本当に体力、気力が必要だなと思うからです。
スタジオジブリさんの魂を、何年経っても感じられて、何歳になっても発見があって楽しいなって思います。
今ふと、思いついたんですけど、借りぐらしのアリエッティも緑がたくさんでしたから綺麗な緑ですが、あんなに小さなアリエッティの目線で植物たちが生き生きしていたことを回想できてしまいました。
ということは、ただ緑=自然=豊か=綺麗=べた塗り ではないということですよね!
もののけ姫の森の緑と、アリエッティの緑は違いますよね。
そしてトトロの森の色とも違う。
あ〜思考が止まらないですね。すごいなぁ。
ジブリって素晴らしいですね。今日はこの辺にしておきます。
成長していく過程を通して”伝える”ことを学んでいます。言語化サロンを開きたいと思っていますので、ご支援よろしくお願いいたします。