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私の生い立ち

誕生期

1977年公務員の父、管理栄養士の母の間に生まれる。
3人姉妹の長女。

幼稚園時代

・年少さん
カトリックの幼稚園で、園長先生は和傘が好きな外国人。
毎日お祈りの時間があり、「〇※■%$。アーメン。」と
訳も解らず唱えさせられる。

最悪だったのが、夏のプール。
数メートルおきに、5人位の大人がプールのコースに並んでいる。
泳ぎ方は教えてもらっていないのに、次々に投げ込まれる。
水を飲んでもがいている所を抱き上げられ、息を吸う間もなく次の大人へ向かって、水の中に投げ込まれる。今なら完全に虐待。。。

・年中&長さん
父の転勤で、年中さんの夏に、新しい幼稚園へ入園。
「宇宙戦艦ヤマト」のダンスが大好きだった。
年中さんの時の担任「きみこ先生」が、今でも私の憧れの女性像。
毎日幼稚園では、折り紙やうつし絵で遊び、先生のお手伝いをして過ごす。
クラスのお友達が、先生に「カバのかわいい爪切り」で爪を切ってもらっているのがとても羨ましかった。「私もやって欲しい。」と
言えなかったことは今でも心残り。

小学時代

朝が大の苦手。忘れ物がとても多い子だった。
成績は悪くなかったが、学校が楽しいと思ったことはない。

1年生の時の先生はものすごくに怖かった。
悪いことをすると、廊下に正座させられ、膝を蹴られる。
毎日誰かがげんこつされる。
濡れ衣で、一度だけ私もげんこつされたことがあるが、
目の前に火花が散ったことを覚えている。
昔はそれが「正しい教育」とされていた時代。。

6年生。金管バンドで大活躍。
マーチングの資格を取得し、はじめての全国大会出場した時の部長を務める。顧問の先生には「部長は嫌われる位、厳しくしないとね。」と言われて、みんなに嫌われる覚悟で、クラブの成長の為にガンガンダメ出しをし、部員のおしりを叩きまくった。しかし、バレンタインデーや卒業の時には「山のようにプレゼント」を頂くという意外な結果になった。
神奈川県学生音楽コンクールにて最優秀賞受賞。
未だにこの時期が私の人生の全盛期。

中学時代

音楽で小学生で華々しい結果が出せて、嬉しかったし、やりがいもあったけれど、小学生なのに毎日胃が痛かった。先生方にも才能を認められ、母も音楽の道を進むことを期待していたが、明らかにやりたくないことだった。

中学1年生。担任の先生がソフトボール部の顧問で、クラスの女子にソフトボール部の宣伝をした。自分は「男の子」に生まれたいと思っていたし、甲子園球児に憧れていた。当時は女の子は野球部に入れなかったので、ソフトボール部に入部した。

毎日ソフトボールの本を読んだり、父にキャッチボールに付き合ってもらったり、自分なりに最大限努力をしたが、ベンチを温めた。中学校の記憶は不思議なくらい消えている。

高校時代

中学時代、母に「精神的に弱い!」と言われ続けたので、「精神を鍛える」為に「柔道部」に入部。そして、デビュー戦前に「右膝前十字靭帯」損傷。「石の上にも三年」的な考えで、なんとか卒業まで所属し、練習を続けたものの、果たして得られたものは何だったのか???勉強もひたすら下降調子で大学受験にも失敗し、浪人。バトン部の可愛い女子が猛烈に眩しかった。

浪人時代

大手予備校に通う。高校生の時の、大学受験は完全に「神頼み」だった。「〇〇大学に受かりますように!」大学に合格したらやりたいことも考えた。

でも、圧倒的に勉強の量が足りなかったし、勉強の基礎を積み重ねてこなかったので、専門知識を積み重ねられる土台があまりにも小さすぎたのだった。

英語の先生の「欲しいものは何でも手に入る。」という言葉で、大学合格への気持ちを強めた。浪人してまで毎日お弁当を作ってもらうのが申し訳ない気持ちと眠気防止の為に、お昼は毎日カロリーメイト半箱で頑張った。

1人静かに予備校の自習室にこもり、自分自身と向き合う日々。自分と向き合うことは「自分の非」認識し、受け入れること。

ここから私の人生は、ガラッと変わった。19歳。私の最初のターニングポイント。毎日勉強漬けの日々だったが、高校時代よりもむしろ楽で、自分の成長を実感できて達成感を味わえた。勉強することが楽しくなり、できないことを一つ一つ潰して行けば、自分の力になることが実感できた。そして、「努力=我慢ではない」ことを知った。「頑張り方」を覚えた実り多き1年だった。

大学時代


生物が好きで、当時はやりの「バイオテクノロジー」にひかれて農学部へ入学。本当は園芸学を学びたかったが、定員オーバーで残念ながら「育種学」に。大麦の遺伝子解析の研究をした。農業の大変さと楽しさを体で感じた。農場実習はとても楽しかった。

勉強・アルバイト・和太鼓サークル・恋愛・お酒・海外旅行。自分でお金を稼げるようになると、世界は広がる。できることはみんな挑戦した。

大学院時代

「食品の検査」や「商品開発」の仕事がしたいと思ったが、大学で学んだ知識とスキルでは全く足りなかった。そこで、理学の知識を身につけようと進学。専攻が変わると大変なことが多かったが、なんとか卒業させてもらえた。

就職

商品検査の仕事がしたいと思って、2年間大学院で勉強したのに、配属されたのは「貿易部」。。海外からの食品輸入の仕事をした。後になって考えてみると、「商品担当」への道を人事の人が作ってくれていたことに気づく。

労働環境も良く、優しい人達に囲まれていたが、3年目で寿退社。あのまま仕事を続けていたら、仕事が楽しすぎてバイヤーとして世界を飛び回っていられたのかな?って未練タラタラだった。ビジネスマナーや食品販売の基礎を学ばせて頂いた。

結婚・出産

なにかご縁で結婚。子供3人を授かる。

社会復帰

子育て中も研究補助、食品卸、寿司チェーン店などでパート勤務。

2020年から起業の勉強を始めると、本を読む量が増え、人と話す機会が増え、人生を振り返る必要があった。すると、自分はHSPであり、親は毒親であることに気づく。今まで気づいていなかったことが山のように出てきて、自分の心の傷にも気づいた。そして、反抗期も迎えてしまう。精神的に人生のどん底。

「会社や夫に頼らず、自分の力で生きる力を身につけようと決心したこと」と「人々との出会い」で、人生第2回目のターニングポイントが訪れた。

自分の心の持ち方ひとつで、「こんなにも人生って変わってくるのか!!」と驚き、2021年11月。「本当の私の人生」が始まった。

「自由」の「厳しさ」が身に染みる毎日だが、自分で幸せをコントロールできるようになってきているし、自分で物事を決断できる心地よさも味わっている。

私は「(キッチン)ハピネスエフェクター」。世界の人々が幸せになる為に
、自分の力を使うことを決めた。

今は、自分が頑張って来た「食」で誰かを幸せにしたい!






毎日のおうちごはんのことで困っている人を減らすために毎日頑張っています。今はYoutube撮影用の機材購入の資金に宛てさせて頂きたいと思っています。