やってみなくちゃわからない

モデルになるために行かなくてはならない進学校、だったのが、いつの間にか自ら行きたい高校になっていたのは自分でも不思議だった。

バスケットボール部に所属し、気合が入っていないときに限ってシュート率が上がったり、リバウンドが取れたりなんてして、バスケットボールでの高校推薦までいただいた。兄が勉強もスポーツも一番以外気に入らず、ヤンチャをしても家族親族誰からも可愛がられていたことで、兄の真似をしていれば安泰と思っているような、事なかれ主義だった私が初めて人から欲された瞬間だった。

三者面談、担任の屋久がこう言ったのだ。

「今の成績では正直厳しいかと思われます。せっかくの推薦も頂いたから、授業料など考えると、受けた方が良いのではないかと思ってます」

「本人が決めることですから」

母はきっと私を応援する気持ちからではなく、学歴社会で育った祖父母からの威圧感のせいで麻痺している。嫁いだ時に恥ずかしくないように、困らないようにと思ってのことだろうと、私の意図とは違うけれど、理解していた。

「確かに学校の成績で言えば、受からないと思われるかもしれないですが、やってみなきゃわからないですよね」

「もし、落ちたらどうするの?」

「そしたら、そのとき考えます。最初から受からないと言って推薦私立を選ぶより、行きたい高校を受けて、ダメなら諦めます」

「私立ってお金がかかるんだよ」

母と顔を見合わせた。

「そんなこと知ってます。でも、ダメだと決めるにはまだ早いと思います。塾でも成績は下がっているけど、やれるだけのことをやってからじゃないと、私の気が済まないことは両親も理解してくれています」

鶴丸予備校ではすでにA-1クラスにいて、スクーリングと言えば夏のスクーリングも、GWの受験生対象スクーリングも、全部受けて来て、全国模試だって鹿児島県30位にまでなったのに、1年生からきっちり勉強していた人とは持続力が違う。塾の先生から、「まだまだ頑張れますよ。成績は下がってしまったけれど、合格できるくらい頑張っています」とお墨付きの言葉をいただいていたことで、母も味方につけていたのだ。

「僕なら、推薦なんて滅多にないことだから推薦を選ぶけどね」

「私の人生です。先生の人生じゃありません。推薦を選べばよかったと後悔するのも私、でも川内高校に受かったらそんなこと思わないし、受けたら受かってたかもしれないと思う後悔の方が私はしたくないんです」

自分が担任だったら、自分のような生徒を考えると、同じことを言うのだろうか。言うかもしれないな。遅刻もするし、問題行動もあり、志望校に成績が届いてない、応援できるものがなかったのだから。覚悟を聞いて、屋久先生は静かに「わかった」と言った。



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