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信頼できる人間は本当に存在するのだろうか。


信頼がある人、って存在するのか。
言葉のニュアンスなだけで、とくに人の言葉からでるそれに大きな意味も持ってないのかもしれないけど、
よく「あの人は信頼できない」などの声を聞くと、なぜか苦しくなる。
そもそも信頼できる人間はいるのだろうかと、それがしばらく頭の中をぐるぐると離れない。
ただ単に考えてるだけなんだけれども。

ここでは信頼のある人、ない人を当てはめていくとしたら、
私はきっと全く信頼のできない人間なんだと思う。

悲しい、嬉しい
闇、光
死、生
正しい、間違い
正義、悪意
妬み、憧れ
嫌悪、好意


正反対の者たちが
必ず表裏一体に存在してる。
私の中に正反対のもの達がそれぞれ100%存在しているのがわかる。
どちらかに筋を通していかないと、一気に信頼できない人間に思われてしまう。そんな怖さが私の中にある。

日常生活ではどちらか一方に針を振れさせる、
どちらを選択するべきか、
そうやって必死に信憑性を保ち、人間生活を送る。

正反対の感情が同時に、世に出たとき、一瞬にして信頼のない人間と格付けされて落とされてしまう危険性があり、その危険性が私をどうしても恐怖、不安にさせる。

あなたのままでいい、あなたを出していけばいいと、他人から言われるが、それは本当なのか、そのままの自分でいるのは大丈夫なのか、私にとっては簡単な事ではない事は確か。

だからといって片方の感情を状況によって選択していく事については自分自身は必要な事と納得している部分もある。ただ常に進んでいく事しかなく、その都度感じていくしかない。

誰の心にも裏表は存在しているけど。どちらかが隠れている。
こうなりたい、これは間違いと、知らず知らずに選択していっている。
どちらかが退化し、消えていくのにも気付かずに。

そこまで意識する必要はないと思われるかも。確かにそうかもしれない。でも、わたしにとっては考え続けなければ生きていけない事だともわかるし、それによる恐怖や不安に対する戦いを望んでいるのかもしれない。

ただ、私は
私の中の、確実に存在してる正反対の2人を
守っていこうとしてる。一緒に生きてる。

何が正しいのか、間違いなのかは分からないけど、
進んでいってみようかな、と。

言えるのは
私の中に、その想いが”在る”という事実だけ。
それを受け止めるだけ。


なにがいいたいかぐちゃぐちゃやん。
みんな私も信頼できないとかではない。
みんながみんな矛盾があって、ただどちらを優先しているかなだけ。あなたの中には相手の一部があったり、その反対も。
みんながみんなある意味おなじで、
許せるはずの者同士。

おあいこさま

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