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2022年元旦の備忘録

反町先生との文通

 幼いころから読書や文通が大好きだったと、2021年の年末に実家の大掃除をしていて思い出した。中学生の頃の、誰が誰を好きだとかいうお手紙(全部イニシャルとかコードネームで書かれているから、誰のことか全くわからなかった笑)とか、昔付き合っていた人からの優しさ溢れるお手紙とか。

 その中でも、すごく温かい気持ちにさせてくれたのが幼稚園の担任の先生だった反町先生(旧姓)との文通。なんで反町先生と文通に至ったのかは覚えていないのだけど、中学2年生の頃まで文通をしていたみたい。すごくきれいな字で、私が送ったであろう悩みとか近況にひとつひとつ丁寧にお返事をくれていた。お子さんを出産された直後にも、旦那さんに赤ちゃんを見てもらいながらお返事を書いてくれていたみたい。

 中学の頃の自分って、自分勝手で、友達のことを傷つけたこともあるし、たくさん悩んだ。その当時は必死だったんだけど、振り返ると当時の自分が好きではない。

 そんな当時の私には、親以外に頼れる大人がいてくれたんだなと思い出すことができた。反町先生のお手紙の内容って、大人になった私が読むと本当にそのとおり!っていうことばっかり書いてくれてた。でも、きっと当時の私はその事実でありアドバイスを理解しきれていなかったんだろうなと思って、すごく久しぶりに反町先生にお手紙を書きたくなった。

 あの頃の子供は、28歳になったこと。高校生活を楽しんでいたこと。大学では、いろんなところに旅に出て、子供のころ知らなかった世界をたくさん知ることができたこと。大人になって、28歳になってやっと、自分のことが好きになれたこと。毎日楽しく過ごしていること。

 でも、大人になったからこそわかる。幼稚園の先生がずっと幼稚園の先生として働いている可能性が低いこと。私の地元で、2人の子供がいれば、きっとマイホームを建てているだろうから、昔の手紙に書かれていたアパートには、もう住んでいない可能性が高いこと。

 だから手紙は書かないけど、本当に感謝しています。私のために時間を作ってお手紙を書いてくれて本当にありがとうございました。

わたしのおじいちゃん

 小学3年生の頃に、わたしのおじいちゃんは糖尿病で亡くなった。

 おじいちゃんは、小学校・中学校の校長先生をしていたから、お葬式にはたくさんの教え子が会いにきてくれた。
 おじいちゃんは、ピアノもギターも弾けて、ピーナッツが好きで、お風呂はお夕飯の前に入る。誰よりも先に。
 おじいちゃんは、髪の毛が少し少なめ。だから髪の毛に何かを毎日塗っていた。  

 おじいちゃんは、入院してからどんどん身体が弱っていった。お見舞いに行くたびに、弱々しくなっていくおじいちゃんがいて、それがすごく怖くて、おじいちゃんのお見舞いに行くのが億劫になった。
 従兄弟のお姉ちゃんは、お見舞いに行くたびに、得意な絵を見せたり、学校で褒められたことをお話したり。おじいちゃんを笑顔にしていた。わたしはそれができなかった。このときの後悔がずっと頭の片隅から消えない。あのときの恐怖は、今でも思い出すことができる。
この後悔があって、わたしは、『人の役に立つお仕事がしたい』と思うようになった。その気持ちは今も変わらない。

 おじいちゃんに関する記憶は、これしかない。
 ただ、おじいちゃんの匂いは、覚えている。職場や道ですれ違う、少しご年配の男性の頭髪の匂いで、思い出す。どんな匂いか説明はできないけど、すれ違えばわかる。ああ、おじいちゃんの匂いだなって。懐かしさを覚えるし、勝手に親近感を感じる。
 どんな声だったんだっけ?どんな字を書くんだっけ?どんなふうに笑うんだっけ?どれもはっきりと思い出すことはできないけど、匂いで覚えている。

 そんなわたしのおじいちゃん。
 今日、久しぶりにおじいちゃんのお話を、父方のおばさんとおばあちゃんとできて、とってもうれしかった。わたしが覚えていなくても他のだれかが覚えている。当たり前だけど、とてもうれしかった。

 わたしが3歳くらいのとき、親戚のおばさんの結婚式に参列。式が始まる前に、わたしは大泣き。おじいちゃんは、近くのお菓子屋さんに、ケーキを買いにいってくれて、ケーキでわたしの機嫌を取ろうとしてくれた。しかし、ケーキを目の前にしても大泣き。困り果てるおじいちゃんと父。でも、式が始まると、泣き止む3歳のわたし。わたしのためのお子様メニューがずらっと並んでいて、「全部わたしのもの?」と確認すると、笑顔になったみたい。こんな頃から、食べ物で機嫌を直していたのか。人間変わらないものだな。

 グリーン牧場に遊びにいって、馬に乗ることを楽しみにしていたわたし。いざ、馬に乗った瞬間大泣き。慌てるおじいちゃんとその他の大人。あまりの泣きっぷりに、わたしの後ろに並んでいた子どもたちは、馬に乗らなかったみたい。ごめんなさい。
 その後、馬が引っ張ってくれる馬車なら泣かないだろうと大人たちは考え、馬車にチャレンジ。おじいちゃんとおばさんは、一緒に馬車に乗らずに休憩していたら、遠くから大泣きする声が聞こえて、絶対あの泣き声はわたしだ、、、と顔を見合わせたみたい。

 なんか、幼いころのわたしは、泣いてしかいない気がするし、おじいちゃんを困らせていたことしかわからなかったけど、なんかその風景が頭の中でイメージできて、おじいちゃんの孫だったんだなあと感じることができてすごくうれしかった。

 わたしが生まれた日。母にとっての初めての出産のため里帰り出産だったので、父方のおばあちゃんとおばさんは、わざわざ電車を乗り継いで会いにきてくれたみたい。おじいちゃんが2人を駅までお迎えにいってくれて、「生まれましたね!」とお出迎え。その次の一言は、「とんかつの和光を食べましょう!」おじいちゃん???とってもとんかつが食べたかったのね。

 本当に些細なことなんだけど、忘れたくないなと思って、文章に残してみた。おじいちゃん、ありがとう。孫は元気です。相変わらず食い意地は、張っている。食べることが大好きです。あの頃みたいには、泣かないけど、涙もろいし、悔しいと涙出てくるから、28歳になったけど、あんまりあの頃と変わらないかも。周りの人に恵まれて、楽しく生きてるよ。




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