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挑み続ける勝ち 人生の価値 体現すること 日本リーグを11連覇したNTT西日本ソフトテニス部の凄み

連覇……立て続けに優勝すること。連続して制覇すること。

ボクシングでもプロ野球でも、そのチャンピオンになることがとても難しいことなのに、それを2度3度と連続して優勝するとなると、それと引き換えにする努力と時間は計り知れない。
まだ私の記憶には新しいのだが、ラグビーの日本代表のメンバーたちが、あの激闘のW杯後のインタビューで口をそろえるようにいっていた言葉が本心として心に響いている。
「全てのものを犠牲にしてラグビーにかけてきたので……」
それを語るときの、つらそうな顔……。犠牲にしてきたものの大きさは、当人にしかわかるまい。
ラグビーの日本代表は連覇はしていない。いや、優勝もしていない。でも、そこに向けた尋常ではない努力は、その場ですぐに「次のW杯に向けてがんばります!」と簡単には言えないぐらい、人間の尊厳すら奪われそうになるものだったのだと想像できる。本当の努力とはそういう類いのものなのだろう。

ソフトテニス日本リーグ2020

先日、ソフトテニスの日本最高峰の戦いである、日本リーグが開催された。コロナ禍、その開催は危ぶまれてきた。実際今年度の大会は天皇杯を始め、全世代でことごとく中止にされてきたこともあり、日本リーグが開催されたことには、賞賛しかない。
その大会で、NTT西日本が11連覇を達成した。

文字通り11年連続で日本一の栄光を手にしているわけである。が、決してその道のりは平坦ではない。昨年度は最後の最後、ギリギリのところで踏ん張り、大逆転勝ちを収めた。歴史に語り継がれる決戦であった。
もちろん他のチームが弱いわけでは決してない。気を抜けばあっという間にひっくり返される、竹刀ではなく真剣を抜いたような戦いだ。見ていて息の詰まるような熱戦の連続であった。

今年も勝てるのか。応援している者の不安な気持ちなど、選手の抱えているそれに比べれば塵のようなものだろう。
選手たちのプレッシャーは半端ない。
連覇が始まった頃とはメンバーが違う。その頃から連覇に貢献している選手もいれば、引退した選手もいる。新しく加わったメンバーは、まだ勝ってもいないのに、“連覇”のプレッシャーを背負わされることとなる。その大きさたるやいかばかりか。

3日間を通して行われる大会は、今年は入場制限がされた代わりにライブ配信がされた。仕事で初日はいけなかったが、隙を見つけてはスマホにかじりついた。
NTT西日本の試合は、応援するこちらの緊張など歯牙にもかけてはいない。一球にかける気迫に圧倒された。自信と闘志にみなぎったボールには、見ていて感動さえした。
いや、どのチームも他の大会では見られない気合いの入り方だった。どのコートも緊迫した試合が繰り広げられていた。一打で流れが変わる。一瞬たりとも気が抜けない。ヒリヒリする試合を久しぶりに見た。

あの巨人でもV9

連覇がなぜ難しいのか。
適切な言葉ではないかもしれないが、【連覇に飽きてしまう】のではないかと思えた。これは、連覇したことを目の当たりにしたから感じたことなのだが。
昨年と同じことをしていては、連覇はできない。同じメンバーでその力をキープさえしていれば、連覇できそうなものなのだが、実際はそうではない。プロ野球のソフトバンクや巨人が各リーグで強すぎるのだが、優勝してなお補強に力を入れる。ソフトテニスとは考え方も異なるのだろうが、連続して制することがいかに難しいのかを雄弁に語っている。
勝ったことのない選手を補強してチームに加え、“勝ちに飢えている”選手を起爆剤として活用する。今いる選手のケツに火を付け、切磋琢磨させて力を高めさせる。勝つことの難しさの前に、試合に出ることの難しさやレギュラーを奪うことの激しさを味わわせる。向上心、なんて簡単な言葉じゃない。そこには死ぬか生きるかという感覚さえあるような気がする。常勝監督としての手腕の一つであろう。
工藤監督が、誰よりもストイックに過ごしている話を聞くと、7年も8年もずっと、日本一に喜びすぎずに暮らすなど、私にはできそうもない。

連覇の歴史は挑み続けてきた証なのか

ふり返ると、NTT西日本の連覇の歴史は、挑戦の歴史ではないだろうか。決して連覇に飽きることのない、常に技術の向上、いや、進化を求め続けているような気がする。それは、革新と言っても良いのかもしれない。
例えばペアリングである。ダブルスが基本のソフトテニスにおいて、ペアリングはかなり重要な部分を占める。NTT西日本は、毎年のようにペアが変わる。毎年どころか、大会によってペアが変わったりする。中学生や高校生のの大会で、個人戦と団体戦でペアが変わることはある。しかし、どのチームにも最強ペアみたいなものが存在していて、ここぞというときはそのペアで試合に臨むことが多い。日本リーグは、いうまでもなく日本の最高峰の大会である。そのような大会の中でさえペアが変わることがある。さっきの試合とペアが違う!?なんて、今までの常識では考えられないことだ。ならば、常識とは何であるのか?
勝つための常識とはは、私にとっての非常識にしか過ぎなかったことを思い知らされた。

戦術においても然りである。
雁行陣からダブル前衛、時としてダブル後衛の陣形まで幅広く使う。学生までの間、後衛しか経験のない選手でも、ガンガンと前に詰めていく。ダブル前衛の仕掛け方も常に動き続けている。ボレーを待つ、というスタイルは一切感じない。相手プレーヤーとの駆け引きの中で、果敢にネットに詰めてボレーでポイントを奪いに行くことを何度も繰り返していた。
さらに、読みの鋭さもさることながら、それをやり続ける体力が凄まじい。
ペアとの呼吸がズレたらケガにもつながりかねないプレーを、全員が自信をもって当たり前にしていた。ペアリングに縛られることなく、誰と組んでも当たり前が共有できている。これは、口で言うほど簡単なことではない。
チームとしての当たり前のレベルが高すぎる。それを、チーム全員が共有し一般化させているところは、NTT西日本以外に類を見ない思う。

技術の向上とは新たな技術を習得することなのか

どの分野においても言えることだろうが、トップに立つ人間によってチームはがらりと変貌する。ある段階においてそれは、“指導者”と言い換えることができるだろうが、日本リーグレベルのチームともなると、技術指導はコーチの役割になり、監督はいかにチームを勝たせるかに重きが置かれることになる。プロ野球やJリーグと同じように。
NTT西日本の監督は求め続けている。選手にも自分にも。
NTT西日本の選手は個人的に実績もあり、過去に何度も各カテゴリーを含めて『日本一』を経験している選手ばかりだ。頂点に立った者が、さらに技術の向上を求めるとはどういうことなのか。このままでは勝てないと、すぐに思えるものなのだろうか。
その技術の向上を常に求める。ある場合においてそれは、積み重ねたものの上にさらに積み重ねようとすることではなくなる。一度その技術から離れ(壊すと言っても良いかもしれない)、新たな技術を習得することになる。
優勝という実績を得てなお、それができるのか。

常勝であることの怖さ

NTT西日本の試合を見ると、中高生の試合でも見られるようなことを感じることがある。どのチームも、NTT西日本と試合をするときは、120%の力を出してくるのだ。いわゆる“向かっていく”という試合である。他のチームとの試合では見られないようなボールを打ち、時に神がかり的な動きをしているように見える。
逆に言うとNTT西日本は“向かってこられる”チームになっている。実績からしてそれは当たり前のことなのかもしれない。向かってこられるチームに必要なのは、挑み続ける気持ちである。よく言われるそれは、実際には口で言い聞かせるだけでは難しい。想像するだけでは、そのイメージは続かないし限界がある。
多くの大会で「本命」と呼ばれたチームが苦戦するのは、向かってこられたとき、それ以上に向かっていくことができないのが一因であろう。頭ではわかっていることなのだろうが、本番を想定しきれていなかったのは、人間のの脳のある意味で脆弱な一面なのかもしれない。

ステージを与え続ける監督の凄み

人間の脳にそのような脆さがあるのならば、現実的に挑み続けられるステージを用意すれば良い。確かにそうなのだが、単純そうに見えるこの考え方を実践することは現実的に難しい。そこには必ずこの上ない怖さが付随するからだ。勝っているのに、新しい技術を習得するのも怖いが、勝っているのに、勝った要因を捨て去ることはもっと怖い。
NTT西日本の監督には、選手に常に挑戦のステージを与え続けようという意志の強さを感じる。選手にいつも考えさせ、その場に留まらせることをさせない。言い換えれば、それは選手を不安にさせることとも言えるかもしれない。しかし、それが向かってこられるチームの選手を、受けて立たせない選手にしている大きな要因のひとつにも見える。
誰より不安なのは監督なのだろうか。結果が全ての勝負の世界に問われる手腕を、凄みに変える心を覗きたい。

何よりすごいのは間違いなく選手である

一流とは、とどまることではなく流れ続けること。転石苔むさず。選手を、常に挑む意識にさせる。その怖さ、凄み、手腕……。多くを書いてきたが、実践できなければただの机上の空論である。
現実として遂げた11連覇。それが、空論ではないことを明らかに示している。
言うまでもなく、何よりもすごいのが選手である。言葉にすると、なんと軽々しいものだろうか。申し訳ないとさえ思えてくる。
選手にしてみれば応え続けているわけではないかもしれない。そこにあるのは、常に技術を革新していこうとする飽くなき探究心だけなのかもしれない。なぜなら、どう見ても進化し続けているからだ。技術も戦術も。ステージは用意されたものなのかもしれないが、その上で、誰よりも考え、試し、深め、そして強くなりそこに存在している。5人しか出られない団体戦に、俺を出せ!というギラついた野心を抱きながら。
ふと、全盛期なんて言葉はあてはまらないような気がしてきた。言うなれば、今が全盛期なのではないかと。(ピーキングという話とは別でね。)
だって、ずっと見ているけど、今が一番上手だって思うから(「上手」なんて言葉は失礼なのかもしれない。精妙?至妙?手練?何しろ、キャリア的に至高なんです!)。
年齢なんかでは計れないし関係ないものがそこにある。常に変わり続けるそれは、革新的な進化である。
考えて練習して考えて練習しての繰り返し。慣れてしまうことも飽きてしまうことも考えられる。このとんでもな【努力】という一言では表せないものをやり続ける。常に考えながら。
生きている中でヒントを探し、思いついたら練習でやってみる。いつも考え、それを実践する。
体だけでなく心も削られるほどに。
高みを目指し続けるそこに凄みを感じずにはいられない。
連覇のプレッシャーだけが、選手を動かしているとは思えない。筆舌に尽くしがたい心の内を、いつか聞かせてほしい。

*  *  *

向かってこられるチームに必要なのは、挑み続ける気持ちだなんてことは過去に何度も耳にしてきた。
そして、それが口で言い聞かせるだけでは難しく想像するだけでは限界があるということを、結果という形で目の当たりにもした。
ならば、本当に挑めば良いのだ。挑ませれば良いのだ。
それは、目の前の勝ち負けではない。自分に挑み続けることで、勝ちが見えてくる。価値が見えてくる。
人としての生きる価値が見えてくる。
そんな戦い方だったように思えてならない。

こんなに勝ってくれてるのに、まだ期待してしまう。それが、プレッシャーとなるのは百も承知なのに。もっと見たい。ソフトテニスがどんな進化を遂げていくのかを。
今は、優勝したばかり。連覇と言いながら、初優勝の選手もいる。ひとときの休息か。いや、そんなこと思ってもないのかな。生きがいに見えるもん。
私が勝手に感動しているだけ。選手はただ、上手になりたいだけ。

これからも、応援させてください。

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