見出し画像

同意と事実は違っても良い (これもコツみたいなものなのかな)

「マンガに教えてもらったことがとてもたくさんあります。」というマガジンを公開させてもらっている。その中の「作品に罪はない 読んでみて良かった 悩んでいる人にも悩んでいない人にも」というnoteに少なからずご意見をいただいた。このマンガを見つけてくるひろゆき氏の見聞の広さがすごく、そこで紹介したマンガがわかりやすいということが間違いなかったということなのだろう。

そこにも書いてあったことだが、
【人に同意すること】
と、
【人が言っていることが事実かどうかを認めること】
は、似ているようでかなり違うことなんだと思う。

作中の例は、(247作品目にあるが)お腹の中に竜がいるというもの。
お腹の中に竜がいて苦しいという相談者に対して、お腹の中に竜がいたら、それはそれは苦しくて仕方がないだろうと同意する。確かにそうだ。お腹の中に竜がいたら、誰だって辛いだろう。もちろん想像上の話だ。
でも、実際はお腹の中に竜はいない。それは、事実である。竜そのものが空想の存在であることもそうだが、人間のお腹の中に竜は絶対にいない。事実は事実である。そこを決してごまかさない。

「事実」はごまかさない。
気持ちには「同意」して寄り添う。

現場でも似たようなことはあるのではないか。
例えば、たまに聞く話なのだが、子どもに「プールの中に蛇が泳いでるから入りたくない」と言われる。
こんなウソみたいな話を、実際に言ってくる子はいる。中学生でもいる。
どうだろう。頭ごなしに言ってはいないだろうか。
「プールに蛇なんているわけないでしょ!」
と。

確かに、子どもにこんなこと言われたらバカにされているみたいで腹も立つかもしれない。忙しいし、こっちは真面目に話してるのにって。
でも、こんなこと言うには何かしらの理由があるのかもしれない。ふざけて言ってるわけじゃなかったら、事実は認めないけど、気持ちには同意してあげても良いかもしれない。
「プールに蛇がいたら、絶対に入りたくないよね」

私などはすぐ楽しくなってしまって、
「うそ!マジ!?そんなん絶対いやだわ-。絶対いや。大きさどれくらい?(手を広げて)こんなもん?もっと大きい?」
なんて大げさに同意してしまう。

でも、蛇はいない。
一緒に確認しに行っても良い。
「いないねえ。」
その後で良いのでは?
「どうしてそんなこと言ったの?」
っていうのは。

もしかしたら、その子にとって蛇に見える何かが心のどこかにあるのかもしれない。
話を聞いてほしいだけかもしれない。
プールの用意を玄関に置いてきてしまったのかもしれない。
プールカードにハンコを押してくるのを忘れたのかもしれない。

寄り添うからこそ見えてくるものがあるだろう。
聞こえる声があるだろう。

*    *    *    *    *    *

生徒指導で絶対やっちゃいけないのが、
「絶対に誰にも言わないから、(自分にだけ)本当のことを教えて。」
と言うこと。
ウソはついちゃいかんよ。それは事実じゃないから。

よろしければサポートをお願いいたします。いただいたサポートは、今後の治療費に使わせていただきます(^_^;)