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10年先の脳内

昨今の現職教育は、明日試してみようと思えるようなものを紹介されることはとても少なく、正直なところ実際はあまり教室では使えないなってものが多い。

教育目標はどう設定してるんだとか、これからの教職員にはどのようなことが求められているのかとか、そんなことばかり会議室で突き詰めても授業は上手にならない。もちろん、それが100%間違っているとは言うつもりはないが。
しかしながら、現場の教師は、どうやったらわかりやすい授業ができるかとか、どうやったら教室の全員がこっちを向いて聞いてくれるかってことを知りたい。特効薬なんてないのかもしれないが、それでも、明日一日を乗り切れる技術を求めている。
堅苦しく話してたって授業は良くはならない。しかも、そこにある学ぶ意欲は限りなく低い。

そんな現職のこないだの議題はこちら。
「10年先を見通して児童にどんな力を付けたいかー!」

突然どうした!?
思わず口が開いてしまった。今から何を話すのつもりなのか?10年先だと?
もういい加減いしてくれ。時間は有限なのだよ。定時で帰らせてくれ。明日の教材研究やらせてくれ。

そもそもが、である。10年後には今ある職業の55%が存在してないって言われている。ということは、10年後なくなっていると思われる行事とか課外の活動を今すぐなくすべきなんじゃないかなって思う。
持久走大会とか豚汁パーティーとか老人ホーム慰問とか。これはもう現実的に無理。
持久走大会に限らず、体育的行事は100%安全ってわけではない。特に持久走は、健康管理が本当に大変だ。それに、大会となると校外のコースを走ることになるので、警察に届けて警邏をしてもらったりコースの安全確保のためにボランティアを募ったりと目に見えていない仕事が山積している。
豚汁パーティとか意味がわからない。これに似たような行事がどこの学校にもあると思われるが、学校行事として行う意義を考え直してほしい。老人ホーム慰問とかもそうだが、子どもの安全を優先しなければいけないことが今後ますます顕著になるであろうから、現実的に無理なのである。
マーチングって地方によっては鼓笛って言うのかな。あれもまたしかり。毎年楽器は壊れる。壊れた楽器を直すお金は、もうどこの学校にも残っていない。それより先にトイレを直す方がどう考えても先である。
だから、確実に10年後はやれてない。

職場体験もそうだろう。文科省の肝いりで始められた、キャリア教育の目玉とも言える体験授業。しかし、文科省はこれを地方自治体に丸投げして、もう現場は大混乱だったわけだが。ようやく軌道に乗ってきたかもしれないが、これだってよく考えたら半分以上の職業がなくなっていると予測されているわけで、代わりに新しい職業が生まれているんだから、なくなっていると予測されている職業に体験しに行ったって意味は薄い。勤労の意味を知る?いやいや、そんなことするよりも、ユーチューバーとかをちゃんと認めて、脳内の情報の更新をすすめなきゃって思う。

10年後の児童の姿を見通してほしいなら、まず教師が10年後の世の中をちゃんと予測してなきゃいけないではないか?
本当に想像できているのだろうか?10年後の日本を。
給食のおばさんは、職業として成立していないらしい。銀行員も清掃員もいなくなるって予測。運転士もいらないかも。でも、教師は残ってるんだって。なぜって、それは人が人を育てるからって。

脳の更新をしよう。ユーチューバーは立派な職業だ。投資家もそう。お金を稼ぐというより、興味のあるところにお金を集める時代になっていく。
そんな世の中に生きる児童に付けたい力を話し合うならおもしろそうだけど。

うちの現職は、カリキュラムマネジメントが大事だから考えろとか、教科横断的に思考せよとか宿題ばかり出すだけ。フィードバックもない。
締め切りだけ与えて、時間を保障しないから忙しくなるばかり。締め切りが1週間後でも1ヶ月後でも、毎日びっしり授業して会議してたら期間なんて意味はない。ほしいのは期間じゃなくて時間なんだよ。
明日は、現職の宿題をやるので午前中授業にします!とかやってみろってんだよ。
そうしてくれたら宿題なんかすぐにやってやるさって。

脳内革命って、育てる側の革命がどう考えても先だと思うんだけど。


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