道徳の教科化と評価が、何と関係あるのですかと聞かれたので、偏屈な私は……

みんな道徳をやらなかったから手を打たれたんじゃない、と答えた。

学校の時間割には、国語社会算数(数学)理科英語音楽美術(図工)技術家庭体育の他に、学級活動(学活)、総合的な学習の時間、そして、道徳(教科)がある。一昔前は学級裁量もあった。そこにクラブもあり、地域によっては勤務時間内に特別クラブなるものを入れなければいけないため、普通の授業の5分を削って時間を捻出し、7時間目なるものをつくって実施しているところもある。

しかし、授業で行われている教科の中で数字による評価がなされているのはいわゆる9科目のみである。総合的な学習は多くのところで文章による評価がなされ、学級活動においては通知表に記載されている項目のあてはまるところに○がうってある。

そして、道徳。ちょっと前から教員による評価が義務づけられた。その評価のあり方は各自治体によって様々だが、それが始まる頃合いに各自治体がお互いに顔を見合ってどんな評価にする?と探り合いながらすすみ、結果としてどうやら文章による評価をしているところが多いようである。

学校から様々なプリントが各家庭に配布される。毎日毎日本当に数多の種類のものが。よくこんなにあるものかと。中には地域の広告っぽいものまで。実は、これでも減らしている方だ。作文や標語、ポスターの募集や地域のスポーツ団体の活動のビラなどはきりがないので配るのは差し控えている。作品の募集については、学校で紹介し、希望者のみ配布する。そんなことをしていても膨大な量だ。

その中に突如として現れる大事なもの。懇談会や家庭訪問、授業参観のお知らせやPTAの集まり、健康診断のお知らせや予防接種の呼びかけ、進路希望調査に学校評価のアンケート……。検尿?心電図?○月○日までにご提出をお願いしますの文字。「もっと早く出しなさい!」って言いたくなるのもわかる。大事なものはちゃんと別にして出してって言いたくなるのもわかる。

そういうものって、子どもにいつ配られているのでしょう。朝の会?いやいや、それだけでは時間は足りない。配るだけでは済まない。ちゃんと中身を確認して説明して名前が合っているかを確認して、大事なものはなくさないようにちゃんとしまわせて。で、絶対に教室に落ちている。あの採尿容器が。「だれのですかー??」と何度も確認をし、ようやく見つかる。話を聞いてないやつに限って落っことす。そうこうしていたら、朝の時間なんてあっという間に過ぎている。

では、何の時間にそういう行為は行われているのか。削られる順番として、どういう順番を想像しますか。きっと当たりです。国社算(数)理英はまず削られない。まず学活、そして総合、次は……。

今の学校は本当に時間が足りない。突然地元の議員さんが善意で「○○に参加してくれんかの」とか「○○を寄付する」とか言い出すとこれまた大変。お礼の手紙書いたり披露する歌を練習したり……。そういう善意はもは迷惑でしかなくなる。もちろんそれを学校は断れない。割を食うのは子どもなのである。学びの保証などあったものではないのだ。

どうしても、道徳をやらせたい。削られる順番の高い方にある道徳を削らせずに担任にやらせるのはどうすれば良いのか。

そうだ!道徳の評価をさせて、通知表に書かせよう!

そう。評価をしなければならないということは、授業をしなければならないということである。しかし、なんという本末転倒な話であろうか。地獄である。

いや、道徳の評価をすること自体は悪いことではない。受験科目ではないし、他人の道徳観を評価するのは難しいが、ならぬものはならぬものです!と會津藩什の掟のような道徳観を紹介できる。今までのような、どんな答えでも認める、とはちょっと違うことができる。

しかし、何かを増やすなら何かを減らさねばならない。有限の時間をどう使うのかを考えておくれよ。増える一方では、パンクすることは目に見えている。

いや、もうパンクしている。

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