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進学 就職 何を教えているんだろう?  今回は一部描写が極端かも……ご容赦ください。

今は職場を離れているが、後輩とのメールのやりとりの一部。職場を離れたからこそ、メールでのやりとりが増え、もしかしたら話すよりも話しているかもしれない。

誰でも大学という最高学府に入れちゃうようになって、教師は教員になったんでしょうか。テクニックや心構えは教えてくれても、胸に迫る言葉をどうひねり出すか、ということは教えてくれない。公務員として、教えるべき内容が上から降ってくる中で、画一化せざるを得ない。経済界の要請をまるごと受容して、会社に従順な人材の輩出を課された我々教員。教えるべき内容が決まっていて、個性を要求されない職場であるということは?
点に戻ると、教育って、生きていくために必要なことを実体験を通じて体系的に学ばせること、だと思います。我々庶民は読み書き算盤、食べ物の育て方、生活用品の作り方、商売のやり方を学ぶ。武士は漢籍、和書から支那・日本の歴史や政治を知る。出島から洋書を借りて西欧の学問や技術を知る。社会を動かす歯車のような我々用の教育と、社会を変革するような有閑階級の教育(学問?)と。英国人斬っちゃって、大英帝国相手に敢闘した薩摩藩は、誰かからの受け身の教育で戦ったか。断じて否!必要に迫られて、やむを得ず、学んで戦ったからこそ、英国人も認めたんだと思います。

実に熱い。いや、こんな熱かったっけ?って思うぐらい。自分と向き合う時間が増えたせいもあろうが、自分と向き合ってその後現実と向き合ったら、理想とのギャップに思わず出てしまったのかな。

大学は全入時代だから、大学卒なんてのはあたりまえ。となると、大学出ていないのにちょっと成功した奴らがもてはやされる。メディアなんかにも取り上げられてしまい、余計に大学入ることだけが全てじゃないなんて囃し立てる。メディアは珍しいものに飛びつくだけで、その結果は最後まで追いかけない。勝ち負けを決めないで、火のないところに煙を立ててとんずらすることもある。

さて、現状として、教えるべき内容は良い大学を出た人たちが決め、経済を上から眺めている人たちが自分たちの立場が危うくならないように居場所を確保できることのみを教育として配布する。個性を主張しようものなら、芽のうちに摘みにかかる。自分の居場所を守るために。

自分に必要だから必要なものを学びたいと思わせないように、量で学ぶ者側の時間を奪いそれを考えさせないようにする。時間と場所を与えて、海の上で船中八策されたら転覆させられちゃうから。それを一番恐れている。

必要は発明の母であることは間違いない。その必要性を感じさせるのは「失敗」であるはず。唯一失敗できるチャンスの場が学校では総合的な学習や部活であったかもしれないが、もうすぐなくなる。成功のレールを敷き満足感を味わわせることが、自己有用感につながるって本当に信じているのか?
薩摩武士たちの中には、名を残さずに亡くなっていった者が多くいるだろう。しかし、成し遂げる!という意思は確固たるものであったはずだろうし、自己有用感は感じていたであろう。それが、洗脳教育であったはずはないと思うし、そこはそうでなかったと信じる。

翻って、「○○が学びたいから○○大学に行く」というような志を抱いて大学行く人が、今どれだけいるのか。「何のために学ぶのか」などという問いは、「なぜ人を殺してはいけないか」と同じように、無意味だ。切実な思いに突き動かされるから学ぶ。そうでなければ学ぶ必要はないことはYouTuberたちが証明しているか。

惰性というか、就職する=生きるために、高校や大学に進学しなければならないという今の状況は、最悪なのかもしれない。10年後、現在の存在している職業の55%がなくなるという。では、一体、高校って何のために存在しているのか。大学もだが。

iPhoneは日本の企業のタッチパネルやらハードの最小化やらの良いところだけをかき集めて作られている。昔日本がやっていたことをアメリカにやられている。しかも、けっこうなスピード感をもって。一理ある。


日本が優れた手作り戦闘機を開発して航空機の優位性を証明した後で、馬力のある丈夫な戦闘機を大量生産するアメリカ。最新のプレハブ工法を採り入れて超弩級戦艦を建造し、航空機に敗れる日本。いつかの時代のお話。

普段暮らしている中で、x、y、zを用いて連立方程式を立てたことはないなあ。本当に何を教えているのだろう。

『切実な思いに突き動かされるから学ぶ。』本当にそう。これ以外に学ぶ理由はない。

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