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新しい観点の本来の目的に即しているか自信が……

知識・技能

思考・判断・表現

主体的に学習に取り組む態度

今年度から新しくなった、通知表の評価の観点である。
今までは各教科ごとに観点がちがっていたはず。関心・意欲・態度を筆頭に、数学的な考え方だとか、話すこと・聞くことだとかがそれぞれの観点としてあった。体育とか音楽などは、技能という観点でその技能そのものを評価されていた。

それが、全ての教科において、上に挙げた3つの観点に統一された。国語でも知識・技能、思考・判断・表現、主体的に学習に取り組む態度であるし、音楽でも同じである。
理由は、文科省のホームページなどをたどっていけば読むことができるだろうし、各方面の大学の先生たちもそれぞれに私見を述べたりしている。

では、現場はどうであろうか。

何かを新しくすることで刺激を求めているのか?

プログラミング学習というのが始まっている。しかし、それは年間何時間費やす計画なのだろうか。毎週毎週プログラミング学習の時間なんて存在しない。総合的な学習の時間などを使って、せいぜい6時間ぐらいしか実数としては行わないのではなかろうか。新しい学習が始まるぞとなかなか大きな声で叫ばれているような感じで、どこぞやの肝いりの学習のように取り扱われている場面も見かけるが、書き方の時間の5分の1ぐらいしか学校では行われない。

現場でやることは、大きく変わっていない。いきなり大きくは変えられない。プログラミング学習をどのような目的で行うのか、その方向性が定まってきたときは、もう次の新しい学習に目を向けられているだろう。
総合的な学習の時間も、その内容が地域の特色を踏まえた学習にしなければならないためにほとんどの学校でマンネリ化し、どのような目的で始められたかについては目を向けられずにいる。そして、いよいよお荷物化してきているのではないか。
実際、プログラミング学習だけでなく、外国語学習も始まっているが、削られている時間は総合的な学習である学校が多いのではないか。

さて、評価である。そんな自由時間になりつつある総合的な学習の時間の評価は上の3観点ではされない。
現場の先生は、評価が新しくなったことにより、新しい視点で評価をしなければならない。主体的に学習に取り組む態度とは、知識・技能とも思考・判断・表現とも大きく関わる(のだそうだ)。また、意欲があるからといって主体的に学習に取り組む態度が良くなるとは限らない(そうだ)。どのように学習と関わろうとするかであり、その学習の目標を見据えてそこに向かって学習を進めていることが主体的に関わることなのだ(そうだ)。

正直に言って、難しい。勉強する時間がほしい。
偉い人たちが何ヶ月も練りに練って考えた観点である。さぞ正しいのであろう。しかし、現場ではそれについて考える時間が何ヶ月もあるわけではない。
いや、そんな時間はほとんどない。繰り返しになるが、目の前の子どもたちと授業をしてそのほかの雑務をこなすので精一杯だ。

だが、評価はしなければならない。

今この状況でも、許される限りの精一杯の時間を使って評価をするだろう。新しい観点に即して、必死に考えて。
ただ、この3つの観点のそれぞれの意味を踏まえられているのか……。自信が……。
だって、現場の人に聞いても、明確な答えが返ってこないんだもん。

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