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月は祈り~占星術よりも大切なもの


月理論に反発の意、納得できない意を唱える占星術師さんもおられます。私はそういったご意見に「見逃せない一理」があると感じます。特に、「それでは幼い感情、素の自分自身としての月はどうなるのか?」「月はやはり必要で重要なもの。欠損と言って終えてしまうと、月がないがしろにされてしまうじゃないか。そんなことはありえない」というご意見。



確かにこれは事実です。そのお気持ち、よくわかります。名もない星読みのユリシスが提唱したところで、大きな意味はもたないかもしれませんが、本当の月は反転の位置にあると思っています。長い間、考えて考えて、そのような結論に至りました。反転の月を従来の月とみなし、アスペクトを考察してみていただけると、きっと納得できることがあるはずです・・・



ネイタルチャートの月は欠損としての月であり、本当の月(従来の月)はその反転の位置にあるーーこの推測を取り入れないとしても、本当の月がどこか別の場所にあるーーーその仮定の上に、改めて月理論を考察していただくと、多くの反発や誤解が解けるのではないかと思います。



少なくとも、チャート上の月は従来の月としての働きを担う天体ではありません。それは無意識の恐れと反射を示しています。また素の感情や社会性を外したその人そのものでもありません。これは紛れもない事実です。



このように、月理論に感銘を受けて、それを必要とするすべての方へ届けたいと願っているユリシスです。しかし、私は、月を知らないまま生きて、月優位な状態で亡くなった方がみんな不幸だとは思いません。地球は体験の星です。月という天体があるからこそ、こんなにコントラストの激しい感情体験ができるのです。


月に翻弄されて生きて、太陽が隠れてしまう人生であったとしても、死の間際に、家族が、傍にいる人が「ありがとう、地球人生、本当にお疲れ様でした!」と心からの言葉をかけてあげることができたなら、その人生を全肯定してあげることができたなら、それでOKだと想うのです。



ご本人様が、最後の最後に、「つらかった、苦しかった・・・でも、これでよかった。ありがとう・・・」そう想えたら、過去はすべて宝石に変わります。勲章に変わります。誰がその方の人生を不幸だったーーと決めることができるでしょう。



すべての星があるからこそ、こんなにも彩り豊かな人生を味わうことができます。月があるからこそ、感動や喜び、そして、恐怖や絶望という体験ができるのです。それ自体に意味があり尊いことです。こうあらねばならない、なんてものはひとつもないんです。冥王星的視点でみると、太陽で生きることだけが尊いことだと、誰が言えるでしょう。永遠という視点でみると、月を味わい尽くすことを悪いこと、改めるべきことだと誰が言えるでしょう。



絶望する自由、恐怖する自由、憎む自由・・・あらゆる体験をすべての星たちが与えてくれる。だからこそ、地球は最高のアトラクション、最高の学びの星です。月を味わい尽くすと、いいえ、すべての星を味わい尽くすと、反対側へ出ます。苦しみを味わい尽くすと喜びに至り、月や土星を受け入れ尽くすと太陽に至ります。だから、すべての体験はオールオッケーなのです。



本当に実在を持つものは、いつだって、結果ではなく過程そのものでしかないのです。そして、意識は時空を超えるものですから、幸不幸も満足も、自分にしか決定を下すことができないものなのです。



占星術は希望を与えるものです。どんなことも乗り越える力が自分の中に存在していることを、圧倒的な実在感でもって教えてくれるものです。占星術が絶望を与えてはいけません。すべての人の自由意思と体験の可能性を奪ってはいけません。伝え方・・・とても大切です。



星より意識が上ーーーそれは月にも適応できるものだと、私は信じているし、確信しています。

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