善悪ではなく美学~アセンダントとチャートルーラー
獅子座の義母は如何せん強烈である。あっけにとられて言葉がでないようなエピソードには事欠かない。私に対するあまりに強烈な(理不尽かつ悪意に満ちた)扱いに「お義母さんて意地悪ですよね」と物申したことがある。
すると、義母は「そうよ。私、いじわるよ」と、曖昧な笑顔を讃えて言い放った。私のどんな言葉も彼女の内奥に届くことはないだろう。そして、一方で、永遠にそうであってほしいという思いがある。
だって、信じられないくらいの自己肯定感の塊、あるいはプライドの権化ーーそれが太陽獅子座の魅力なのだから。他者の言葉によって、簡単に自己が揺らぐなんて、天下の獅子座が廃るではないか。獅子座が自信をなくしたら地球が破滅する。眩しいくらいのオーラを発してくれなくては、その美学を貫いてくれなくては困るのだ。
そんな義母情報によると、夫の生まれ時間は朝8時50分であった。これまでに何度か確認したが、間違いないと言う。しかし、つい半年ほど前に、「あの子は夕方生まれよ」と言い出した。
あん?あんだと~~(?_?)ちょっと待て。待ちやがれ。
当初の情報(8時50分生まれ)によると、夫の太陽は山羊座の29度70分に位置しており、星座の境目にある。それなのに、夕方生まれとなれば、星座が変わるじゃないか!!!私は身を乗り出して「え???じゃあ、何時生まれなのですか?」と食い気味に尋ねた。
義母が16歳、亡き義父が20歳の時に、二人の長男である夫が生まれた。当時、複雑な諸事情が重なり、義父は他県で日雇いのような仕事をしており、いつも帰宅が16時前であったと言う。そして、第一子誕生の直後、仕事が終わるやいなや、義父は病院にやってきた。
だから、間違いなく「あれは15時30分から16時の間だった」ーーそう義母が言うのだ。もう何がなんだかわからない。なぜ8時50分という半端な数字を、あんなにも自信満々で言っていたのか・・・射手座の私には、色々とわからないことだらけである(*_*)でも、どうやら、とにかくそうらしい、のだ。
すると、夫の太陽は水瓶座0度になる。えらいこっちゃ。へええええ、ほおおおおおお、と私は仰天した。これまでもこれからも、義母に振り回されて、私は一人前になるのだな、うん。これでいいのだ。善悪とかじゃない。最終的には美学なのだと思う。どなた様も自分の美学を貫こうではないか。
人それぞれの美学なるものは太陽星座からのみ生まれいずるものーーとも言えない。太陽、月、アセンダント、水星、金星、火星・・・などの複合的なものだと思われる。私自身で考えると、アセンダント天秤座の威力の凄さよ!と思う。ユリシス個人的にはアセンダント+金星=美学だ。
これは私のアセンダントの支配星が金星であることが大きく影響しているのだと思う。やはり、チャートルーラーの影響力は甚大である。例えば、電車の中で化粧をしたり、ものを食べているお嬢様方を見ると、アタイは心底ギョッとする。ギョッとし過ぎて、能面のようになる。
アセンダント天秤座の私にとって、公の場において、自分の言動を他者がどう感じるかーーという客観性が失われた一切の行為は美しくない。美学のないものに魅力を感じない。食べるという行為やセクシャリティの範疇というのは、最も個々人の美学が反映される。基本的に、私はホレタハレタは秘め事だと思っている。いや、秘めておいてほしいのだ。
SNS等で、現在進行形の色恋沙汰について、あからさまに発信しているのを見ると、恥ずかしさと拒絶感で発狂しそうになる。桃色の鼻息が漏れ聞こえてくるようで怯える。この生理的に湧きあがる感覚は「不倫はいけないわよ!」とか、「自由恋愛なんてはしたない!」とか、そういう思想的なことでは全くない。そんなものは一切合切、否定しない。
すべての人類よ、どうぞ思うようにおやりください。我々は望む体験をしようではないか。性はダイナミックで生命の根源的体験である。善悪や倫理観はその中にあるものにすぎない。しかし、秘め事を公に発信してしまう、その単細胞な自己陶酔感が美しくない。色香のかけらもない。その「中二感」が堪えがたい。ただただ、私の美学に反するのだ。
この世は二極でできている。秘めるからこそ燃え上がる。秘めるからこそ本質が浮き上がる。そんな感覚を持ち合わせていないということが、なんとも寒々しく、空恐ろしく感じるのだ。私は自我の範疇の欲望を否定などしないが、ただし、そこには美学が必要だと思っている。
というわけで、獅子座の義母の美学を私は尊重する。すべての人の美学は尊いと思う。自分が他者にぎょっとすることがあるように、他者が自分にぎょっとすることも、こちらを否定することも、認めようではないか。どこまで行っても、私たちの間に「違い」はある。違いを表現してもいいのだ。違うからおもしろいのだ!
自我はなくならない。最終的に、それは美学となって残るのだと思っている。