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トランスサタニアンは深淵な内的宇宙

1781年、イギリスの天文学者ウィリアム・ハーシェルが天王星を発見し、国王ジョージ3世に由来した「ゲオルギウム・シドゥス」(ジョージ星の意)という名を付けました。その後も「ジョージアン・プラネット」「ハーシェル」など、天王星には多くの名前が付けられてきましたが、最終的に「ウラヌス」として認識されるに至りました。



これはギリシア神話の「天の神・ウラノス」に因んだものですが、実際のところ、慣例に従って「未使用の神話上の存在」の名が付けられたものであり、天体そのものの働きとの関わりは希薄であるそうです。(天王星にとってウラヌスという名前が本当に適切かどうかは確定できない部分があるということ・・・)



他の惑星がローマ神話に由来する名称を与えられているため、本来は天王星もカエルス(Caelus)と命名されるべきーーとも言われているようです。そして、天体の学名については、また別の興味深い側面があります。それは元素名・原子番号と連動している点です。



天王星=ウラヌス・ウラン・原子番号92
海王星=ネプチューン・ネプツニウム・原子番号93
冥王星=プルート・プルトニウム・原子番号94



ウラン・ネプツニウム・プルトニウムの元素名は、太陽系の惑星から命名されたのですね。元素としてのウランが発見されたのが1789年、ネプツニウムは1940年、プルトニウムは1952年。天王星発見が1781年、海王星は1846年、冥王星は1930年です。ウランが天王星と関連づけられたことで、残りふたつの元素も紐付けされたのでしょう。



原子力発電の際、ウランに中性子を当てることで核分裂を起こさせます。天然ウランの中に、核分裂を起こす成分であるウラン235は0.7パーセント程度しか含まれていないため、濃縮ウラン(ウラン235の割合を増やしたもの)に変化させてから利用し、爆発的なエネルギーを発生させます。その廃棄物として生まれてしまうのがプルトニウム、その中間生成物がネプツニウムです。



※プルトニウムは自然界には存在しません。原子力爆弾・核爆弾を作るには大量のプルトニウムが必要であり、それを生み出すためには多くの原子力発電所が必要になります・・・原発は発電のためにあらずーーこれはもはや、多くの人たちが気づいている事実でしょう。




さて、ネプツニウムとプルトニウム、この二つは毒性・破壊性を持っています。特に、プルトニウムは半減期が非常に長い超危険物質であり、私たち人類はその処理方法(無毒化する方法)がわからないまま、地球上に増やし続けている大変厄介なシロモノです。また、原子力発電により生成される毒物(人工放射性物質)はそれだけではなく、セシウム134、セシウム137、ストロンチウム90、ヨウ素131などがあり、どうしても環境中に放出されます。



私の個人的価値観では、原子力発電は即刻止めるべきだと思っています。私たち人間の悪魔性に対して強い憤りも感じます。しかし、占星術的視点から見ると、そのような単純解釈もできないのです・・・



というのも、この世界に存在するすべてのもの、起こってくるすべての出来事は必要性と必然性を持っているからです。冥王星がプルートと呼ばれ、プルトニウムを象徴しているのも、まさにその事実を示していると言えます。地球上に核爆弾と原子力発電所が存在し、人類がその脅威にさらされているのも、我々の意識進化において必要だからーーと言えるのです。



原子力を忌嫌い、反対するだけでは冥王星の意図を理解しているとは言えません。冥王星は破壊と再生の星ですが、「破壊」とは現実のその奥にある深い深い事実に気がつくために起こってくるトリガーのようなもの、人間的な成長と成熟を得るための禊のようなものです。



私自身、相当な堕落性を持っていますから、納期が近づくまではノラリクラリと過ごしたり、状況が許す限りは楽な方へ楽な方へと進んでいってしまいがちです。自分の世界から見えるものを「絶対事実」だとして頑固になり、全体像から離れていってしまうのが人間の性だと思います。つまり、自分の正しさや感情を重要視するあまり、他者の気持ちや立場を理解できなかったり、起こってくる出来事を自分自身の責任主体として受け止められない性質(被害者目線)を、私たちは持っています。



そこで、効いてくるのが土星や月の存在でしょう。試練を与える土星、苦悩と煩悩を与える月の存在があってはじめて、私たちは自らの堕落性と悪魔性を超えていくことができます。それと同様に冥王星の存在があってこそ、私たちは霊的成長を得ることができる仕組みになっています。



私は頑固なので、ギリギリの試練や痛みを経験して、ようやく自我を手放すことができます。相当に苦しいことがなければ成長できない困ったw人間です。自我目線にしがみつけばつくほど、土星や冥王星はこれでもかこれでもかという試練を与えてきます。おまえのその強情で高い鼻をへし折ってやろうかと言わんばかりに・・・マレフィック的要素を持つ天体たちは「本当に大切なことに気づかせよう、成長させよう、至福と慈愛に辿りつかせよう」と私たちに働きかけるのです。



ウランは元々地球上に存在しているものです。(人工放射性物質ではありません)日本でも岡山・鳥取にまたがる人形峠などでウランの採掘が行われてきました。ウラン資源大国であるオーストラリアにはこんな伝承があるそうです。原住民の言い伝えとして「ウランを決して掘り起こしてはならぬ」ーーと。



まるで、ウランがアダムとイブが食べた知恵の実であるように思えてきます。それを食べたらどうなるか知りたいという好奇心、そこにあるものを掘り起こしてみたいという衝動、そして、全能の神になりたいと願う悪魔性・・・



何事も極限を知らずして、反対側の極に向かうことはできません。原子力という禁断の木の実を食べてしまった私たち人類はその対価を支払い、そして、自らの堕落性を直視して、より大きな成長へと向かうことができるのだと思います。



地球の恵みである禁断の木の実(ウラン)を食べたことにより、思わぬ人工物(ネプツニウムとプルトニウム)を創り出してしまいました。その扱い方を知らないままであれば、地球と私たち自身を破壊しかねないものです。



それを神話的に捉えるならば、私たちは天王星を使って独自の道を進み、それによって多くを失い傷つき、他者に迷惑をかける経験が必要ということになります。そして、自分自身の内面と向き合い、見えない宝を掘り起し(海王星)、やがて善悪・二元性を超えた全体性に至る(冥王星)、その過程を象徴的に示していると思うのです。それは、外側に起こる出来事はすべて内側の反映であると気づく旅であり、私たち自身の深淵な内的宇宙(存在の深海)を見つめていくチャレンジです。



占星術において、力の強いものが勝者とはなりません。「深さ」に到達した者が勝者です。決して、勝ち負けではありませんが、より深い人がより強い力を持つことは事実と言えます。月(自我意識・自己保存欲求)が最も浅く、冥王星(超越意識・普遍意識)が最も深い。一度死んでナンボの地球人生だなと思います。




水瓶座冥王星は本当の自由と個の尊重、一段高い同胞愛の在り処を教えようとします。それは自分自身も他者も等しく尊重できる道を探し出すことです。冥王星は今、現象や低い自我に翻弄されず、その奥にある叡智を見つけ出すようにと、私たちに語りかけています・・・


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