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8月の祈り

京都府の北部に行ってきました。北部と言っても盆地なので、とても蒸し暑いエリアです。歩道に沿って長い花壇が設置されている場所を歩いている時、私は仰天しました。アスファルトの上に、無数のミミズの死骸が散乱し、足元一面が埋め尽くされていることに気がついたからです。



その数は軽く百を超えるほどでした。当たり前ですが、干からびた小さな残骸には命が宿っています。ミミズは地中が高温になると、地上に這い出てきて、体温調節を行おうとします。しかし、這い出てきた場所の多くがアスファルトなのです。放射熱を帯びたアスファルトは地中よりもさらに高温で、そこで力尽きてしまうそうです。



暑くて暑くて、花壇の土の中から出てきたら、そこはどうしようもない灼熱地獄だったーー暗澹たる思いになります。私の稚拙な感じ方に過ぎないかもしれませんが、このままでいいわけがない!という強い思いに駆られます。



本来、地球は寒冷期に入っているはずです。しかし、この温暖化です。私は30代の時、原発反対運動に参加していたことがあります。(結局、その結末を思い知り、戦うという方向性を手放しました・・・)金銭的搾取や支配構造にはまだ我慢ができても、地球の自然や無数の命を虫けらの如く扱われることに対しては、黙っていることができなかったのです。



原子力発電についてはその真実を知れば知るほど、狂気の沙汰以外の何ものでもありませんでした。そして、複数の原発が密集している福井県の若狭湾では、海水温度が7度も上昇しているというお話をダイバーさんから伺いました。



比較的、寒冷地にあたる福井県の海が亜熱帯化したことで、どれだけ多くの海の命を奪ったことでしょう。原子力発電所は常時、温水を排出しています。そのような「装置」が、地球上には500基以上あり、一時期はフル稼働していたのです。



地表の温度上昇はまず海水から始まります。そんな仕打ちをしておいて、地球が暖まらないわけがありません。そのような社会の仕組みから目を背け、自己保身で生きていた私自身が再び福島の核の悲劇を許し、そして、今もミミズの命を奪っています。



自然を破壊しないでください、命を無碍にしないでください、経済優先の無慈悲なやり方をしないでくださいーー真正面から反対を唱えてもダメでした・・・私たちが声を上げる対象(たとえば電力会社や現地住民)もまた、同じく支配構造の傘下にいる人たちだからです。原発に反対すれば、同時に、石油利権を持つ人たちを支持することになるという、どうにもならない構造を知りました。(実際はもっと複雑です)



だから、私はもう戦うことを選択しません。大きな声で「気づきましょう、声を上げましょう」と言うこともしません。私にできるのは、創造主として、私自身を精一杯生きることです。そして、星の言葉をお伝えすることです。



8月はあの世とこの世の境目が薄くなります。80年ほど前に、日本では核の悲劇がありました。その時の戦いにより命を落とした無数の先人たちの思いと祈りが、透明な光となって、日本を包んでいることを感じます。



お願いだから、これ以上、木を切らないで。お願いだから、これ以上、美しい地球を破壊しないで。多くの先人たちの思いをムダにしないで。命を慈しんで・・・それは多くの人の本心ではないでしょうか。ミミズの死骸を見ると痛いんです。生態系が狂わされることが苦しいんです。だって、それは自分自身に対して行っていることなのですから。



地球はものすごい自浄作用と恒常性を持っています。福島の事故の後、若狭湾の原発群が停止した時、海の温度は元に戻っていきました。水瓶座時代を迎えた今、新しい世界を切り開くと同時に、それは原点に回帰することでもあります。



私は諦めません。自分の思いを捨てません。戦わないけれど、できることをやり続けます。そして、生きる喜びを表現していきます。それが、私たち自身とその反映である地球を愛することだと信じています。







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