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韓流ドラマと月のゆりかご

先日、懐かしの韓流ドラマ「悲しき恋歌」を観てしまいました。いやあ、クオン・サンウがカッコいいし、キム・ヒソンの人間離れした透明感がすごい!!!そういえば、長いこと、韓流ドラマを観ていなかったな~


でも、そんな私も韓流にどっぷり嵌っていた時期がありました。あれは2005年か2006年のこと。私は2001年に結婚して、2005年に離婚。元夫が私に隠れて行っていた悪事の数々を知ったうちの母が怒り狂い、鬼の形相で家に乗り込んできたことが思い出されますw


正直、一方的な感情だけで突っ走るようなことは止めてほしいのですが、感情的になった時の母は、自分の立ち位置からしか物事を見ることができないのです。だからと言って、冷徹な人間ではなく、非常に情は深いのです。(母は完璧な月蟹座です)


結局、私たちは別れることになり、元夫が家を出て行くことに。そして、私は猫と一緒にその家に住み続け、派遣の仕事をしながらノラリクラリとしていると、唐突に、母が仕事を紹介してきたのです。(もう一度言います。母は重度の月蟹座ですw)


それは健康器具や浄水器を扱う会社の「会長秘書」の仕事でした。なんでも、その会社の社長から「娘さんを紹介してほしい」と頼まれたというのです(なんで私?この時点で謎すぎw)そして、会長と面接して、即採用されてしまったので、よくわからないうちに、私はそこで働くことになりました。


蟹座の月に翻弄された時、本当の思いやりや母性、優しさとは何かがわからなくなる母は、こういう強引なことを度々やってくれます。当初のイヤな予感は的中し、結局、この会社で深いトラウマになるほどの体験をしたわけなのです。


簡単に言うと「セクハラ」です。社長も常務も名ばかり。実情、一代でのし上がった会長が「神」として君臨しているような、新興宗教まがいの恐ろしい会社でした。会長室で体を触られたことが何度かあり、私の人格を否定するようなことを毎日のように言われ続けました。わけのわからないセミナーにも強制的に参加させられました。扱っている商品は確かによいものでしたが、洗脳まがいで会員を募っているのが実情なのでした。



毎日、「今日はどんな目に遭うのだろう」と戦々恐々としながら出社。でも、一度始めたことをすぐに辞めることが嫌いな私は、大抵のことを限界までやってしまいます。(自分に与えられた運命やすべての体験から、何かを知りたい、掴みたいという強い気持ちが働くのです。)



入社して半年ほど経ったある日、会長の出張に泊りで同行するように言われ、もうここまでだ!と悟りました。神経性胃炎と咳が止まらなくなる症状が出ていて、「なんとしても逃げるんだ」と覚悟を決めました。(実は、前の秘書も、その前の秘書も会長の愛人でした。私に行った同じやり方で洗脳したのでしょう。)



しかし、「辞めます」と言って、受け入れてくれるような会長ではないので、私は計画的犯行に及びました。「体調が悪いので早退します」と申し出て、そのままトンズラするという単純極まりない計画です。計画当日、お昼休憩が終わると、デスクの引出しから大事なものだけを抜き取って、こっそりと足元の紙袋に入れていきました。緊張の糸が最大限まで張りつめて、今にもはち切れそうな状態で会社を出ました。


会長の狡さや恐ろしさを、いやという程知っているので、駅までの道のり、尋常ではない程に心拍数が上がってきました。追ってきたらどうしようと、病的なまでに私は怯えていたのです。そして、無事に電車に乗り込むと、堪えていた涙が堰を切って流れ落ちました。


翌朝、計画通り、知人が母親役になってくれ、会社に電話。「娘は、精神的肉体的に限界が来て、もう出社できませんので、辞めさせていただきます」と猿芝居を打ってくれたのでした。その数時間後に携帯が鳴ったわけですが、案の定、会長からでした。もう二度とあの声を聴きたくない私は、無視を決め込みました。


そうすると、別の女性幹部から電話があり「会長から見舞金を振り込むように言われたので入金しますね」とのこと。「バカにすんなよ」と、突きあげるような怒りを感じて「お金は要りません!」と言ったのに、そのまま電話が切れました。結局、私の口座に謎の10万円が入っていました。(金額も肝っ玉も小さいおっさんだことw)


そんなこんなの一連の出来事があり、私は憔悴していたのです。これまで、一体、私は何をしてきたのだろうか?という虚無感に襲われていました。「大学で学んだことも、資格をとったことも、何ひとつ活かされていない。私は何のために生きているのか」私の全てだった大好きな人と別れ、”彼と一緒になれないのなら死んだほうがマシ”と、もはや、自分の運命を呪っていた私は、ヤケになって好きでもない人との結婚を逃げ場にしました。(もうめちゃくちゃです)そして、結局、このような有様。



「こんな私が生きていて、一体、何の価値があるというのだろう・・・」



その問いが私の存在すべてを覆いつくそうとしていました。太陽エネルギーである命の電池が、プチンと音を立てて切れてしまった32歳の出来事でした。そんな状況を察した父が「家に帰って来なさい。お前ひとりくらい、ずっと家にいてもいいんやで」と言ってくれ、私は猫を連れて、あっさりと実家に戻りました。そして、半年間、引きこもっていました。その間、何をしていたかというと、毎日毎日、ひたすら韓流ドラマと韓流映画を観ていたのです。そして、たまに宝塚を観劇しました。



考えてみると、若い時の私は、どん底に陥るとタカラヅカを観ていました。そして、グランドフィナーレで涙し「やっぱり生きるしかない。もう少し頑張ってみようよ・・・」と思い直して、どうにか生きてきたのです。あの半年間、なぜ、あんなに韓流ドラマを観ていたのか?ーー今ならよくわかります。



韓流とタカラヅカは本質的にそっくりです。現実世界ではありえない王子様とお姫様が登場し、この世の美しい面だけをデフォルメして表現する。善なるものと悪なるものが明確に分かれ、観る者は「自分の位置が固定された状態で」主人公に自分を投影して、感情移入ができます。



現実世界はもっと複雑怪奇であり、善と悪が入り混じります。正しい者と間違った者、善なるものと悪なるものが、明確に分離してなどいないのです。善悪が別れた「勧善懲悪的な」美しい世界というものは、なんと優しい世界なのでしょうか。金星的甘さと美しさだけに酔っていられる世界は、なんと耽美で魅惑的なのでしょうか。できることなら、ユリシスもそうしていたいです笑


汚いものなんて見たくないじゃないですか。ましてや、自分の汚さや弱さなんて、誰が見たいものですか!自分を内観せずに、美しい物語の中に、幼き自分を投影していられる世界・・・それはまさに月のゆりかごです。誰にも何者にも侵されない月のシェルターです。



月のシェルターである「韓流の世界」に逃げ込むことで、私は自分を頑丈な殻の中で守り、癒していました。そこでは、二元論的で相対的な世界が広がっていました。会長という悪魔のような奴がいて、元夫というしょうもない男がいて、私が適応できなかった狂った世の中がありました。未熟でズルい私は憐れな存在である被害者として昇華され、その横には永遠に偶像化された別れた彼がいました。月のゆりかごの中で、私は悲劇のヒロインでいられたのです。



月のシェルターの中にいる限り、自分がなぜ、そのような体験と登場人物を引き寄せたのか、私がなぜ、そのようなドラマを創造したのかという「当事者意識・創造主の視点」に立つことを免除してもらえます。すべての「責任主体」から逃げることができるのです。



太陽の生命エネルギーが尽きてしまった時、月のゆりかごは優しく迎え入れてくれます。疲れた時、生きる気力を失った時は、しばらくそこで休ませてもらえばいいのです。しかし!長居は禁物です。月のシェルターには「タイムリミット」があります。あまりに長い間、そこに留まってはいけません。一定の限度を超えると、月の反射が心地よくなり、現実世界(太陽)が眩しくて、そこから出ることができなくなります。そして、月のゆりかごの中にいる間、外界からの影響を受けずにいられる代償として「太陽は隠れてしまい、意識進化は停止」します。



半年程、月の世界でまどろんでいた私の中に、ある日突然、熱い太陽エネルギーが湧きあがってきました。「もう十分だ。これ以上、ここに留まっていてはいけない。歩き出すんだ。目的地はわからないけれど、とにかく歩き出そう・・・」そう強く想ったのです。



引きこもっている期間、感情的な母は、時折、私を責めることもありましたが、父は一言も離婚や過去の出来事について触れず、一切、私を否定しませんでした。父の深い愛情が私を癒し鼓舞してくれました。ただ、信じて見守るという力の凄さを思い知りました。



自分主体で生きる。誰のせいにもせず、外側の何のせいにもしないーーそれが本当の地球人生の厳しさなのです。どんな状況であろうとも、自分の内側にある太陽の力で生き抜く。そう決意した時が「太陽獲得に向かって歩き出す時」です。月のゆりかごで休むことができたおかげで、あの時の私は、足元の覚束ない中、太陽に向かって歩き出すことができたのです。



皆様は、韓流、お好きですか?間違っても、ザ・韓流的真骨頂「悲しき恋歌」は観ないでください笑クオン・サンウの憂いある微笑み、キム・ヒソンの透明感に誘われ、月の甘い世界に迷い込んでしまいますからネ・・・さて、私は、今夜も、続きを観なくちゃ♡









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