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ゾーン体験と空間認識の嘘

ゾーンと現実感|DaiTamesue為末大 (note.com)
為末さんが書かれているゾーン体験、私も経験したことがあります。中学時代、私は器械体操に夢中になっていた時期があります。最初は倒立も覚束ない状態でしたが、そのうち平均台の上で側転ができるくらいに上達しました。



股割りができるくらいの柔軟性とある程度の筋力が付くと、さほど運動神経に優れていない私でも、基本的な技を習得できるようになり、それが嬉しくて仕方がありませんでした。器械体操は技の習得以上に「恐怖心」との闘いです。イメージするように技ができないのは、身体的能力の問題よりも、圧倒的に恐れが原因でした。



ある時、跳馬に手を着いた瞬間、ふいに恐怖心に取り込まれた私は、手が前方へ滑り落ちるように不自然な落ち方をして、胸を強打。激しい呼吸困難状態になりました。吸っても吸っても呼吸が苦しく、このまま死ぬかもしれない・・・と思いました。この出来事が私の心理的かつ身体的自由と創造性を奪いました。それ以降、喜びよりも恐怖が勝るようになっていったのです。


そんなスランプ状態にある時、ゾーン体験がやってきました。相変わらず恐怖心でいっぱいだったのですが、跳馬で助走をしている時、よりによって鼻水がタラーッーーと出てきたのです。それがおかしくて仕方がなく、瞬間、思考が全停止しました。



そして、意識が今ここに全集中している状態で踏み台を踏んだのです。その時、身体と空間と意識が統一されてひとつになり、研ぎ澄まされた集中力により、イメージ(意識の指令)=身体の動きとなっているのがわかりました。そして、イメージ通りの回転ができ、着地も綺麗に終えました。それは鮮烈な体験でした。瞬間瞬間が切り取られた写真のようで、その時のことは今でも明確に記憶があります。



鼻水(笑い・リラックス・緩み)が私の恐怖心(負の思考・囚われ)を吹き飛ばしたのでした。恐れとは過去の産物です。恐れに支配されている時、私たちは過去の出来事が再現されるのではないか・・・という「幻想が生み出した認識世界・過去」に存在しています。今、ここには存在していません。




為末さんの言葉をお借りすると、ゾーンの世界は「過去の来歴や自分の認知の癖が限りなく弱まった状態」であり「いきなり世界に飛び込む体験」なのです。占星術的に言うと、月意識に囚われた状態からの全開放そのものです。



また同じことが起こるのではないか・・・それがトラウマと呼ばれるものであり恐れそのものです。しかし、同じことはほとんど起こりませんw冷静に考えてみると、私たちがつい支配されてしまう意識ーー同じようなことが起こるのではないかという恐怖は完全に幻であることがわかります。過去の産物でしかないことがわかります。




そして、私たちの中にはものすごい力が宿っています。ただ恐怖や概念や思い込みという「認知の歪み」を手放すだけで、完璧なパフォーマンスができる程、私たちの意識と身体は驚異的なものなのです。恐怖を感じると身体が強張り、不自然な動きになります。恐れや自己否定感が命の無限の可能性と創造性を封じ込めてしまうのです。これはすべてにおいて言えることです。



私たちは自我(分離された自己・歪んだ認知構造)を解放する時を迎えました。自分と分離された別物と認識している他者や外界のすべては「私そのもの」です。私とは無です。無色透明な意識です。自分ひとりでは自己を認識できません。だから、外界という分離世界を体験することで「自分自身」を知っていきます。



物や空間、他者や出来事自体には、意味や色は存在しません。勿論、善悪や優劣もなく、どうにかしないといけない問題も全く存在していません。それは見られている私という実体のないものを通じて、「私自身が色をつけ、言葉によって意味づけ」を行っているに過ぎないのです。つまりは概念と幻想の世界です。



実体(宇宙で唯一の実在)は、私たちの奥行きという精神そのものにあり、実はそれが「私たちが見ている世界、目の前の現実のすべて」として顕れているのです。ですから、あらゆる戦いを止めましょう。戦う必要はありません。何かを足す必要もありません。歪んだ認識を手放していくことーーそれだけでいいのです。



観察者の意識が物質と現象に影響を与えるーーこのことが人類に開示されたのは、私たちがそれを許していい段階に至ったということです。私たち自身が創造主であり、外側のせいにすることも自分をないがしろにすることも、全く事実とは違うのだという、アクエリアス時代のデクラスなのです。






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