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フジコ・ヘミング〜射手座魂を貫いた孤高の人


2001年だったと思うのですが、大阪・フェスティバルホールで、はじめてその演奏に触れました。軽い気持ちで聴いていた私は度肝を抜かれました。奏でられる音たちが光の微粒子となって、客席にビュンビュン飛び込んでくるのです。これが噂のフジコヘミングか!と驚きました。


胸元には大輪の白いユリがコサージュとなって飾られ、黒っぽい衣装を引き立てていました。それは匂い立つようなカサブランカでした。未だあんなにもユリが似合う人(ユリそのものと一体化している人)を見たことがありません。演奏が終わると<あの独特の笑顔>をたたえて、客席に一礼されるのが印象的でした。



それから10年以上が経って、神戸の路地裏にあるひっそりとした洋館でお茶を楽しまれているフジコさんをお見かけしたことがあります。びっくりして思わず会釈をすると、やはり<あの独特の笑顔>で返してくださいました。はにかんだような笑顔はフジコさん特有のチャームポイントのひとつでしたね。悪戯っ子のような、少女のような、そしてどこか達観したような魅力的な笑顔。



公表によると、フジコさんは1931年12月5日・ベルリン生まれ。出生時刻は不明ですが、時刻に関わらず月は天秤座です。太陽は射手座で「自分の中の神との契約を真摯に追求した人」という印象を受けます。月の反転星座は牡羊座、太陽の度数にも牡羊座的要素が含まれています。



フジコさんといえば「魂のピアニスト」と称され、本質的で実直、世俗的な欲得や一般的な世知などには目もくれない、極めて純粋で真っ直ぐなお人柄であったと感じます。そのような生き様と表現性が「魂の」と端的に形容されたように感じられます。



世俗にありながら世俗に染まらず、ご自身の魂の声に一直線、魂の願いに忠実に生きた人。そんなイメージが強くあります。占星術における「魂」とは複数の解釈ができます。太陽をソウル(魂)とすることもありますし、はたまた月をソウルの願いを叶えるための受動体(魂の反映)と捉える場合もあります。



個人的には、魂の願いを最も根本的に表しているのは月のノード=ドラゴンヘッド&ドラゴンテイルだと思います。フジコさんのハウスは特定できませんが、ヘッドは牡羊座・テイルは天秤座です。ヘッド&テイルにコンジャンクションしている天体はなし、水星・金星・火星がスクエアです。(月のノードに対しての天体のアスペクトは基本的にコンジャンクションを重要視して見ます。ただし、スクエアは十分な意味を持っていると思います)




今回の人生に強い影響を与えている過去生において、フジコさんは「恋に生きた」のではないでしょうか。自分自身よりも他者に合わせる視点(天秤座テイル+金星)=自分の本分を果たすよりも恋を選んだ・・・スクエアの天体を考慮すると「自分自身はおろか全てを捨ててしまうほどの盲目的な恋」と言えるかもしれません。



出来事や体験自体に良い悪いはありません。ヘッド&テイルが示しているのはただ「バランスであり、過去の体験(テイル)を踏まえた上で、魂が今世で目指したい方向性(ヘッド)」です。太陽・月(+天王星)も牡羊座の要素を抱き、そしてヘッドが牡羊座であるーーそこから読み取れるメッセージは「私は今世、自分自身を貫く、自分の運命にどこまでも忠実に生きる、果たすべき役割を決して捨てない」という強い願いと決意です。



フジコさんの魂が決めてきた「果たすべき役割」とは何か。それは端的に射手座の太陽だと言ってしまってもいいように思います。そこに全てが象徴されているかのようです。射手座というサインは「自分の内なる神との契約を真摯に果たしたい・真実(普遍性・永遠性)に至りたい」という意識エネルギーの象徴です。そのための火でありパッションです。それを「信仰心」と呼ぶのかもしれません。



目の前にある現実だけを見て、幸福だとか不幸だとか判断してはいけない。その時は不幸だと思っていたことが、後で考えてみると、より大きな幸福のために必要だったということがよくあるの。


恋をしているとピアノはあまり良く弾けません。でも、恋はお酒に酔っ払っているようにすてきではありませんか。若さを保つのにも良いでしょう。


人生にはやりたいこと、読みたい本、見に行ってみたいバレエ公演、他にもいっぱいありますよね。結婚していなくて良かったと思います。


死に物狂いになったら、なんでもできる。


神にただ、「ああしてください、こうしてください」と願い事をするだけではいけない。自分のいまの状態から幸せを考えもしないで、もっといい状態を得たいと欲望だけをぎらぎらさせている人が多い。いつも「どうもありがとう」と、いま生かされていることへの感謝の気持ちを持たないと。



多くの人が捨ててしまったのかもしれない「本当の信仰心」、突き抜けるような「自分の魂への真摯な情熱」。その限りなくピュアな炎の輝きを音に乗せて表現したフジコさんは唯一無二の芸術家でした。だからこそ人は彼女に魅せられるのであり、深く感動するのだと思います。晩年になればなるほど透明感に溢れ、純粋無垢な少女のようなお顔になられていったのがとても素敵だなと感じていました。私もそのように歳を重ねていきたいと切に願います・・・



フジコさん、地球人生、お疲れ様でした。お見事でした!!!


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