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罪というものがあるとしたら・・・

本日はユリシスの個人的憤りを記したものです。ただ、それだけの記事ですので、先に記しておきますね。


占星術でいうと、最も深いところから影響を及ぼしてくる天体は冥王星です。冥王星の働きとは<魂の視点からの摂理>だと言えると思います。私たちは主に二つの視点を持っています。人間(自我)レベルの視点と宇宙(魂)レベルの視点です。


どちらも必要です。人間として成熟するためには、これら二つを使い分けることが必要です。使い分けるというよりもダブルレンズで多面的に観るということが求められており、それこそが「人間力」なのです。


人間(自我)の視点は自分の真実や解釈という色眼鏡で世界を見ます。とても狭くて歪みのある認知を通して世界を見ます。これを他者に押し付けてはならないのです。


冥王星的視点で生命や人生を捉える時、罪というものはひとつも存在しないと私は思っています。でも、もしもひとつだけ「罪なるもの」が存在し得るとすれば、それは可能性を奪う(太陽の力を封じ込める)ことだと思うのです。


自分自身に対してもそうだし、他者に対してもそうです。子どもたちがキラキラとした瞳で夢を語る時、大人の小さな小さな視点からジャッジを下してはいけないと思います。それこそが唯一の罪です。それはあなたの真実であって、他者にそのレンズを強制してはいけないのです。



自分ができないと信じているだけに過ぎないのに、自分がそれを欠点や劣性だと信じているだけに過ぎないのに、なぜ自分の絶望や諦めや頭の中のしょうもない理屈を他者に投影して強要するのか。それが人間の可能性や希望を台無しにする最大の罪であると、なぜわからないのか。



地球上の宝であるあらゆる希望や内に眠る可能性や生命の爆発的なパワーを傷つけて奪うーー私たちにそんな権利はありません。平気でそんなことを口にする人たちに「何様のつもりか」と問いたいです。



そして、それは生命という自分自身への最大の冒涜であるということを、どうぞお気づきになられた方がよろしいかと思います。すべては裏表であることが見えない自分自身の濁ったレンズを磨くことにこそ、専念されるとよろしいのではないでしょうか。誰にも、誰かの可能性を奪っていい権利などありません。占星術は希望を与えるものなのです。


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