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なぜ、前田敦子は伝説になったのか?~不安定すぎる安定感~


今日は、国民的アイドルAKB48の元メンバーで不動のセンターに君臨し続けた、前田敦子さんが、なぜ伝説になったのかについて、アイドルオタク歴20年以上のわたしが、こらえきれないほどのアイドルへの愛を大放出して、分析をしてみたいと思います。※すべて筆者の個人的見解に基づくものです


◆前田敦子は、唯一、センターになりたくなかった

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前田敦子さんは、2005年にAKB48の第1期生としてグループに加入しました。理由は、女優になりたかったから。でも、当時の彼女は、自分からオーディションを受けたいとすら言えないほど内気な女の子だった。それを察した母親に「やってみたら?」と背中をおされてはじめてオーディションを受けた。それが、AKB48だった。

発足当初のAKB48には、今ほど”センター”という概念がなかった。役割としてポジションが与えられることはあっても、序列の意味とは違っていたと思う。

それが崩れたのが、発足から約半年が経った2006年4月の出来事だった。あるユニット曲に"渚のCHERRY"という曲がある。今でこそ、センターだけが衣装の色が違うとか、羽ついているとか、キラキラがついているとか、歌割りが多いなんてことは当たり前になっているが、それが起きたのはこの曲がはじめてだった。

ほんの少しだけ見てもらってもわかるように、センターの前田敦子さんだけ、華やかな黄色の衣装が与えられた。

そして、のこりの3人のメンバーは、マイクこそ持たせてもらえるものの、歌割りはほぼない。むしろ、ない。コーラスとハミングだけ。

はじめて、センター+そのほか大勢の構図ができた。

この構図でのユニットが決まったとき、前田敦子さんは、泣いた。嬉しかったからじゃない。やりたくなかったからだ。歌も下手、ダンスも下手、引っ込み思案の自分が他のメンバーをさしおいて前に立つことがイヤだった。


でも、前田敦子さんがセンターに選ばれた理由がそれだった。みんながみんな、センターを狙ってた。同じような年齢の同じような髪型の女の子たちが笑顔の裏に闘志を燃やしていた。そこからひとりが選ばれたっておもしろくもなんともない。

でも、前田敦子さんは、センターに立つことを唯一のぞまなかった。ヘルメットのような髪型で、地味で、内気で、でも、強さだけをもっていた。だから、選ばれた。選ばれてしまった。ステージの上で泣くこともあった。でも、それがAKB48としてはおもしろかったんだ


◆“アンチ前田敦子“が浮き彫りになった。

250px-AKB48_13thシングル選抜総選挙_前田敦子


そんな姿に共感し、熱く応援する人もいれば、反感をもつ人もいた。

大島優子さんを筆頭に人気メンバーが次々と加入。ポジション争いも激しくなった。誰もがセンターになりたかった。

でも、選ばれるのはいつも「やりたくない」前田敦子さんだったから。不器用で、いつもぶすっとしていて、「省エネダンス」と揶揄されるほど手抜きに見えるパフォーマンス。それでも、センターに立つのは彼女だった。日に日に前田敦子さんへの風当たりは強くなった。

そこではじめて、ある企画がおこなわれた。総選挙だ。説明がいらないくらいに、誰もが知っているイベントだと思う。

第1回目の総選挙。第3位までの発表が終わり、名前の呼ばれていない有力候補は前田敦子さんと大島優子さんの2人だけになった。

どちらかが1位で、どちらかが2位だ。司会が「第2位・・・」と読み上げる。名前を呼ばれた方が2位で、呼ばれなかった方の1位が確定だ。

そのとき、会場の一部からあるコールがおこった。「前田、前田、前田、前田・・・」。それは「前田敦子が呼ばれろ」「2位は前田敦子」ということを意味するコール。ざわざわざわざわとそのコールは広がって、本人の耳にも届いた。

結果1位は、僅差で前田敦子さんだった。

ファンが選ぶセンターも前田敦子さんだったんだ。でも、“前田コール”によって“選ばれるのはこれからもこの先も前田敦子かもしれない、でも、それを許さない”そんなアンチと呼ばれる層がファンと同じもしくはそれ以上いるという厳しい現実が浮き彫りになった。


◆そして、お茶の間の国民的嫌われ者になった。

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それから1年後、第2回の選抜総選挙が行われた。

実は、第1回の総選挙は、「おまつり」のようなもので、まさかガチだとはファンは思っていなかった。前田敦子がセンターであることを認めさせるための、ガス抜きだと誰もが思っていた。

しかし、第1回の総選挙で、普段であればとても選ばれないような「干され」と呼ばれるメンバーが選抜入りしたことで、ガチだったことにファンはあとから気づく。だから、第1回と第2回のそれは、同じイベントであれど、まるで違うと個人的には思う。

第2回の総選挙で1位をとったのは、大島優子さんだった。このとき大島優子さんに与えられたセンター曲がのちに大ヒットする「ヘビーローテーション」だ。

わたしは、第2位になったこのときの前田敦子さんのスピーチが好きだ。

私は負けず嫌いなので、正直悔しいです。実は少しだけホッとしている自分がいます。私はやっぱり1位という器ではないと思います。去年1位をいただいた後に、一番にAKBを引っ張っていかなきゃいけない立場だったと思ったんですけど……私にはうまくできなかったみたいです。私は今年はこの順位でがんばっていこうと思います。でも、もしリベンジできるのであれば、もっとたくさんの方に認めていただけるようがんばらないといけないと思うんです。次は胸を張って、堂々とAKB48のメンバーを引っ張っていけるような存在になれるようにがんばりたいと思います。


5分間をかけて、これを伝えた。つまり、ほとんど沈黙だ。

でも、あの前田敦子さんが、はじめて「くやしい」と、「AKBのメンバーを引っ張っていけるように」と言った。センターに立つことがいやで仕方がなかった内気な女の子がはじめて。


そして、ファンは熱狂した。


わたしはこのスピーチは、“みんなが自分を認めていないことも実力が伴わないこともわかっています。でもわたしは自分を変えてくれたこの場所が大好きでこの場所を守りたい。不器用だからうまく伝えられないけど、いつか分かってもらえるように頑張るから見ていて欲しい”というアンチへのアンサーだと思っている。

翌日の芸能ニュースでは、言葉にならない気持ちをなんとか奮い立たせ、言い放つように冒頭で言った「私は負けず嫌いなので、正直くやしいです」が切り取られて報道された。ファンはわかっている。不器用なあっちゃんなりの感情表現だということを。

でも、お茶の間には、前田敦子さんが大島優子さんに負けた悔しさでふてくされているように映った。それがまたお茶の間の反感をかった。前田敦子さんは国民的アイドルの中の、国民的嫌われ者になった。

この頃から前田敦子さんは体調を崩すようになる。テレビに出てもぶすっとしていることが目立つようになった(もともと気分屋で不器用だ)。口をひらけば、けだるそうで何を考えているかわからない。踊ったところで「省エネダンス」。メンバーも彼女を腫れ物を扱うようだった。

ますます彼女に向けられる視線は冷ややかになった


◆「私のことは嫌いでも・・・」

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そして、第3回目の総選挙。前田敦子さんは1位を取り返した。そのあと与えられたセンター曲はその年のレコード大賞を受賞する「フライングゲット」だ。

そのときのスピーチで彼女は言った。


「私のことは嫌いでも、AKBのことは嫌いにならないでください」。


のちに伝説となるスピーチだ。国民的嫌われ者だった彼女のメッセージは全国放送され、大きな反響を呼んだ。

言葉を選んで伝えても、誤解をされてしまうなら、誰にどう思われようがストレートに伝えよう、そんなこころの叫びのような気がした

これが彼女にとっての最後の総選挙となり、人気絶頂の21歳のとき、グループを卒業した。彼女の卒業から約8年が経っても、彼女に並ぶアイドルはまだ生まれていない。



◆前田敦子が伝説になった理由

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前田敦子が伝説になった理由のひとつは、常に矢面に立って見えない敵と戦い続けてきたことだ。

・・・いや、やっぱり少し違う。

戦い続けてきたのはたしかだ。いつだって彼女のまわりは敵だらけだった。でも、戦っていたのは彼女じゃない。ファンだ。

彼女自身をわたしは、台風の目のようだと思っている。彼女はなにひとつ変わっていない。国民的アイドルの不動のセンターに立ったあとの彼女だって、女優になりたいとすら言い出せず、ようやく受けたオーディションでも誰とも話せないまま、鏡にむかってひとり黙々と初めてのダンスを練習し、それでも歌もダンスもだめだめで、ただニコっとはにかんだ笑顔が可愛かったそれだけで選ばれた、内気な女の子のままだ。いつだって不器用で、誤解を恐れずにいえば気分のアップダウンの激しいメンヘラだ。

そんな彼女をスターにしたらおもしろい、そんな大人たちの発想で、前田敦子はつくられてスターになった。変わったのはまわりだ。彼女はいつだって内気で負けず嫌いの普通の女の子だ。そんな彼女の葛藤にいろんな人が惹きつけられ、巻き込まれ、振り回された。

ただ彼女は台風の目の真ん中でそこで耐えていたんだ。静かに、息を殺して。一歩踏み込んでしまったこれまでとは違う世界で、右も左もわからないままに。


そんな彼女を守るために、代わりに多くのファンが見えない敵と戦った。ときにそれは、「センター」であり、「ライバル」であり、「アンチ」「お茶の間」「スタッフ」「スキャンダル」だった。


「あっちゃんを守りたい」。
そんな思いがファンを熱狂させた。


台風の勢力は過激さを増したが、それでも彼女は変わらなかった。いつだってだるそうだ。テレビに出たって目もほとんど開いてない。寝てるのかまぶしいのかわからない。AKB48の冠番組にすらも半年以上出なかった。“お寿司はネタだけ食べてシャリは残す”なんて炎上不可避のブログを平気で書いてしまうような子だ。

やきもきするファンもいたとおもう。もっとグループの顔らしくした方がいいこともあったかもしれない。

でも、“ただそこにいる”それだけで許される、不安定な安定感が彼女の魅力だ。

そして、彼女がクシャッと笑う、それだけで全てが許される

あっちゃんが笑っていてくれるだけでいい、それがいつだってファンの答えだ。

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◆今日のおすすめ

とりあげたメンバーにちなんだ曲をおすすめするコーナーです。

今日のおすすめは前田敦子さんのソロ曲「君は僕だ」。

「君は僕だ そばにいるとわかる 
みんなのように 上手に生きられない
君は僕だ 変なとこが似てる 
本当は悩んでても 不器用で損しても 
笑顔のまま 変わらない君が好きだ」

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◆筆者

ゆりにこ

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ライター。アイドルオタク歴20年以上。AKB48から学んだ独自の「アイドル戦略」を武器にSNSを使い、ごく普通の地方会社員でありながら、Twitterフォロワー1万人超。独立後4ヶ月目には、元HKT48菅本裕子氏をゲストにトークイベントを主催、300人を動員。正体の夢は、「一家に一台ゆりにこ」になること。好きな食べ物は、お寿司。

アイドルの切り口から「ファン化」「ファンづくり」についても発信しています。ぜひ、ツイッターのフォローもお願いします!


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