快曇日
くもりの日はいい。大好きだ。
天気とは裏腹に、心はとても軽くて晴れやかだ。
ああ、こんな素晴らしい天気の日を、快曇日と名付けよう。
外を歩いても、アラサーの天敵である直射日光でジリジリ焼かれた挙句、ベッタリと顔に滲み出た脂汗が製作時間約30分を費やしたメイクを無に帰すこともない。
湯気立ち込めるせいろの真上にでもいるのかと思うほど蒸し暑い日もあるが、ホットヨガだと思って健康的なライフスタイルを心掛ける自分を褒め称えよう。新陳代謝も自己肯定感も上がって一石二鳥である。
なんなら外に出なくたっていいのだ。こんなおっかない鼠色の雲が垂れ込める、陰鬱としてドンヨリしたお天気だもの。外出の意欲なんか綺麗さっぱり削がれちゃったわよねェ、お家で妄想創作に励みましょうなんて、怠惰な私を全肯定してくれる。
晴れというのはトリッキーなやつで、陽気な日差しでフッ軽なパリピから私のような腐った自宅警備員兼主婦まで隔てなく外に誘い出しておいて、
さぁ!楽しめるか楽しめないかはアナタ次第!
と、急に物凄い投擲能力を発揮してマサイ族しか目で追えないであろう遥か遠くまでボールを投げてしまう。
ボールが見つかるまで、道中楽しみながら皆でワイワイ行こうぜ!と光る汗を飛ばしながら即席の団結力でこの状況を楽しめる者こそが、晴れの日に外出するに足る人間なのだ。
私は勿論、早々に諦めじゃあもういいですと不貞腐れて、昼間から一人居酒屋で何故私ごときが楽しめると思ったのかと止めどなく湧き出る後悔の念を洗い流すがごとくのどを鳴らして生中を飲み干す、の一択である。そんな根性無しの人生などは、とっぷり日が沈んでから外に出るでも十分満足、本人は幸せで事足りるのである。
雨というのは論外だ。窓に打ち付ける雨音を聴きながら家でコーヒー片手に読書に興じるなどは物語にも自分にも酔えるので大歓迎だが、外を歩けと言われたら断固拒否する。シンプルに、傘をさすのが面倒臭い。そしてこの、行動の自由が奪われた感も気に食わない。
もしも雨の日を選んで行動するという人がいたならば、何故そんな奇行に走るのか聞いてみたいものだが、残念ながら一度も相見えたことはない。
晴れの日の住人も雨の日の住人も、何の抵抗も違和感もなく街に繰り出し入り混じる。それがくもりの日だ。
つまりその日だけは、私のように曇天に執拗な愛を注ぐやつも、太陽に愛された天上人も、大した違いはないということだ。
なんというお気楽さ。私たちは自由だ。
天敵の日差しがないなら、私もボールを追いかける旅に出かけられる気がする。初めて会う人と外でビールを飲んでもいい。太陽が恋しいと嘆く天上人に、くもりの日の素晴らしさを説くのもいいだろう。
長引く梅雨を嘆く声がテレビから聞こえてくる。雨の数だけくもりがあるという経典を掲げる私にとっては、そんな声さえ自由の鐘だ。
今日も外を見ながら、Good Cloudy Dayと心の中でサムズアップするのであった。
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