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「BooBoo太郎。」にラーメン食べにいくだけの話 前篇

 7月某日。

「いつ麺の量を伝えるのかを見定めるのがポイントだな」

 腹ぺこのお腹をさすりながら夫がぽつりと言った。マスクでくぐもった小さな声だったが、約一時間後には自分の前に提供されるであろう極上の一杯への静かな期待が籠っていた。

 今やあまりにも有名な話だが、ラーメン二郎での注文方法には暗黙のルールがある。客は注文をする際、麺の量、野菜の量、にんにくの有無の、最低でもこの三点を指定しなければならない。特に女性が注意しなければならないのは麺の量。さすがは男子大学生に支持され人気を得たラーメン屋といったところだが、なんとラーメン小ですら、麺が300gなのである。想像してみてほしい、乾燥パスタ3束分プラス山盛りのもやしである。なおお残しは許されない。
 なので必ず店側に「麺半分で」と伝えなければならないのだが、問題はそのタイミングである。「麺どうしますか」と聞いてくれる店もあれば、常連にしかわからないようなタイミングで伝えなければならない店もある。しかも、店の多くは回転率重視で効率的にすばやくラーメンを提供できるようシステマチックに統率が取られているので、下手なところで注文を付けそのシステムを崩壊させてしまっては他の客への迷惑になってしまう。店主の人柄によっては、迷惑行為とみなされ叱責を受けるという。今や店が客の挙動を伺う時代ではない。客が店のシステムを自力で学習する時代である。

 「このお店はそんなに怖いところじゃないから大丈夫だよ」
 伝えるタイミングになったら背中を二回ポンポンしてあげる、と夫は言った。
 「なるほど天才だな!」と彼を褒め称えたあと、結構馬鹿にされていたことに気が付いた。

 千葉・京成千原線の千葉中央駅から徒歩すぐの場所にある「BooBoo太郎。」は、週末の昼時で多少並んではいたものの、すぐに店内の椅子に座って順番待ちができたため混雑しているとは感じなかった。店先に設置してある自動販売機の、3段ある商品棚のうち1段丸々を350mlの黒烏龍茶が占拠しており、気休め程度でも脂肪吸収を抑えたい客の縋るような願望を垣間見た気がしたし、私たちも縋ることにした。店内はすべてカウンター席のみで、大きな寸胴から発せられる湯気は時折膨れ上がるように厨房内に立ち込め、一段低くなっているカウンターの上まで漏洩したり減退したりしていた。白霧の中で無駄のない素晴らしい連携プレイを繰り広げる3人の店員の姿に期待は高まっていく。
 ちなみに後に調べてわかったことだが、「BooBoo太郎。」は店主が様々に派生した二郎系ラーメンの総本山として頂点に君臨する「ラーメン二郎本店」で修業をしたのちに「ラーメン二郎○○店」と名乗らずに独立した店だそうで、そういう店は正式には「二郎系」というジャンルに属するらしい。もはやバベられ過ぎていて凡人には理解不能である。

 店内には、女性客もちらほらと見受けられた。みんな私と同じようにパートナーに連れてきてもらっているようだ。こういう食後の呼気に甚大な影響を及ぼす食事処をデート先に選ぶカップルは、よほどの信頼関係が構築されていると見える。好感しかない。末永くお幸せに。

 私たちの前に並んでいたカップルが二人揃ってカウンター席へ案内されていたため、我々も同様に扱ってもらえそうだと安堵した。ほかの客の様子を盗み見るに、麺やその他分量を伝えるタイミングは食券を出す時ではなさそうだ。確証未だ得ず、しかし私には背中を二回ポンポン作戦がある。おそるるに足らず!

 店内で待つこと約10分、私たちは先頭で順番待ちをしていた。思考と観察を完全に停止し、考えないただの葦と化していたその時「ごちそうさまでした」と声が聞こえ、客が一人立ち去った。私は素早く頭をブゥンと再起動し考えを巡らせた。私たちは二人だし店は回転率重視なので、後ろのお一人様を先に通すだろう。勿論異論を唱えるつもりはなく、むしろウェルカムだ。そもそも休日の昼なので30分は待つだろうと想定していたし、こんなに早く順番が回ってくるなんてツイている。私たちは気が長い方なのであと20分くらいは全然待てちゃうゼ?と店員の男性にアイコンタクトを送ったその時、

「お次の方、空いた席へどうぞ」と、柔らかくも良く通る声が店内へ響いた。

 お次の方、つまり私のことである。
 背中を二回ポンポン作戦は、完全に実行不可能となった。

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