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<合理的配慮支援員>のおしごと その2


その1はこちら 
合理的配慮支援員、はじめました。
https://note.com/yurimon_11/n/n666c6662fde9?sub_rt=share_pw

そもそも、<合理的配慮>ってなんだろう?


内閣府ホームページ
https://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/sabekai_leaflet-r05.html

<障害者差別解消法>によって浸透しつつある言葉だけど、その本質的な意味を深く考えたことがある人はいるのだろうか。

いわしが思う、<合理的配慮>は、

障害etc…マイノリティー
(以下、生きにくサーファー)と
その周りの人が、
お互いに落ち合えるところを見つけること

であって

決して、『助けてあげる』『助けてもらう』という上下関係ではないと思う。

つまり、今回のおしごとも、
ただ、『助ける』だけでは、意味がないと思っている。


いわしは、弱視、小児がん経験者というマイノリティID(※2)があって、
  公立小学校→
     私立中学校→
        特別支援学校→
           4年制大学と経てきたが、

小中大では、<ただのヒト>として同じ環境に生息してい
た。

同じ空気を吸い、
同じ環境を移動し、
同じことに腹をたて、
同じモノを笑い、
同じモノに興奮する。etc…


生きにくサーファーもそれぞれの生活圏を独自に形成しているわけではなく、<ただのヒト>として、すぐ横に佇んでいると思う、

唯一、生きにくサーファーが形成しているものがあるとすれば、世界観だと思うが、

それは社会的文脈でいうとあくまでも、
        『パクチーが好きか嫌いか』
             ぐらいの話なんじゃないかな。


教室内のいわしのポジション


教室内のいわしのポジション


これまでの考えを元に、<教室内のいわしのポジション>はというと、

マグロくんを『助けよう助けよう』とずっと張り付いていては、できることを潰したり、共生する周りのみんなとの輪を乱すと思う。

<合理的配慮>は、対症療法では本質的な効果をなさない。

その<残念な合理的配慮>の例としてあげるならば、

『歩行には不自由ない視覚障害者を、
本人に確認せずエレベーターに案内する』

これについては、また別に言及することにして...。

いわしが考える、<合理的配慮支援員>のしごとは、

『特定の人がいなくても、障壁が解消されるアイデアを提案したり、ともに考える』

ということである。


つづく...

その3『合理的配慮支援員のしごと内容』はこちら


<いわしの辞書>

 このnoteでいわしが生み出したことば集
※1)生きにくサーファー:
 障害、病気、セクシュアル、外国籍、貧困など生きにくさを抱えている人たち
※2)マイノリティID:
 上記など、生きにくさを感じざるを得なくなった原因


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