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自由にはたらける社会とは

私は現在ドバイというコスモポリタンな街でフリーランスで仕事をしている。
リモートワークという言葉が今日本でそんなに注目されていることは知らなかったが、ライフワークバランスを考える上で、日本社会でその思想が広まっているのはとてもいいことだと思う。私は過去5年ほどのキャリアの中で、リモートワークをする機会が多くあった。そのためか、一人リモートで働いている方が効率が良く、今も好んで家で仕事をしたりしている。

新卒で入った会社は、外資コンサル。コンサルタントというだけあって、働き方は他の日系企業よりもだいぶフレキシブルだった。プロジェクトのマネージャーによって働き方は変わるのだが、リモートワークを推奨するマネージャーもいれば、働きすぎて仕事と私生活が混ざってしまい、とりあえずどこででも仕事していればOKというようなスタイルもあった。ドバイでの最初の2年間は日本人の上司だったため、会社にいることが仕事の一部という考え方もよく学んだ。その後転職したローカルの会社はオフィスが素敵すぎて、会社に行ってデスクに座ること自体がモチベーションになっていた。しかし、そんなオフィスワークを楽しんでいるときに、あるアクシデントが起き、一か月リモートワークをせざるを得なくなった。(家で何故かMacBook Proが机から落ち、足の親指の爪と骨を砕いてしまい、歩けなくなってしまうという悲惨な事態に。) しかし実際ミーティングに行くことができないという点以外は、家で仕事をすることには全く支障がなかった。ほとんどのことはメールやSlack、電話でのコミュニケーションで対処できていた。

現在はフリーランスという立場なので、もっと働き方に関しては好きなようにさせてもらっている。ミーティングのある日はオフィスにいくが、それ以外は家でくつろぎながら仕事をしている。ドバイでは日本とは違って交通費というものは会社から免除されないので、運転ができずタクシー通勤をしている私にとってはリモートで仕事できるのはだいぶ支出がセーブできる。効率よく仕事して、家事をしたり犬と時間を過ごしたり、時間が余ったら本を読んだり勉強したり遊んだり、誰にも見張られずに責任を持って仕事をできるのは、自由だ。

しかし、リモートワークをしているとその懸念点も見えてくる。社会とは人と人とのインテラクションによって成り立っている。デジタライゼーションによってますます直接の人との触れ合いが減っていく中、私たちの最も多くの時間の割合を占めている仕事という人との接点をも、テクノロジーに任せてしまうことは果たして良いことなのか。リモートワークは自分の時間の使い方を自由に考えさせてくれるが、人との触れ合いは推奨してくれない。コーワーキングスペースなどがその足りない人との触れ合いを助けてくれるファンクションなのだろうが、オフィスに行くのとコーワーキングスペースに行くのと、時間や効率性に変化はあるのだろうか。もしなにか変化をもたらすファクターがあるのだとしたら、それは”エクスペクテーション”だと思う。自分の仕事に対するエクスペクテーションと、周りの人が他の人に対して持つエクスペクテーション。これが仕事のスタイルやし易い環境づくりに大きく影響しているのではないかと思う。

しばらくフリーランスで仕事をしている私は、そろそろかっちりとした社会の組織に戻りたいと思っている。その理由として先ほど挙げた社会での人との触れ合いをもっと持ちたいと考えているからだ。毎日会社で顔を見て、相性が合おうが合わないが一緒に脚を揃えて働くということには学びがある。もう一つの理由は、フリーランスでリモートワークをしていると、自由は得られるが達成感が乏しく低い。会社というコミュニティに属し、その中で仕事を認められることは自分のキャリアアップにもつながるし、自信にもなる。

テクノロジーのおかげで、人それぞれ好きな仕事の仕方が選べるという世の中になってきていることはとても良いことだ。けれど、どんな物事にも長所と短所がある。フルタイムも、副業、フリーランス、リモートワークも、いろんな働き方を試して、自分に合った働き方を推奨してくれるような社会になれば、それが本当の自由なはたらきかたなのだと私は考える。

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