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短距離走から長距離走へ、「文章だけ」から「音」と「音楽」へ

お元気かしら?

まきむらよ。

今日はcakesの連載、お客様に自信を持ってお出しすることのできるお料理が書けなかったので……読者様においしく食べていただくためにはあまりにも素材を突っ込みすぎたし感情強火にしすぎた文章しか書けなかったので、休載をいただきました。読んでくださっている方はいつもありがとうございます。5年めなの、この連載。本当にありがたい。10年続けられるように頑張りたいと思います。

今日は、3時間睡眠で4時ごろに起きて、ものすごい朝焼けを見た後、水を飲んで、横たわって、目元に布をかけて、朝の光が入らないようにして、また眠って、それから、書き続けていました。

WEBで書くとき、noteのエディタ、いいわねえ〜。シンプルで余計なものが目に入らなくて、本当にノートみたいに真っ白だし、サーバーに自動保存されるからデータが飛ばないし、右上という絶妙な場所に文字数カウンターがあるし。公開しないまでも、noteに書きつけながら考え事をして考えを練り上げていく、っていうことを、結構、しています。昨日今日で16000字くらい書けてる。お客様にお出しするものではない、公開しない文章なんだけど。

なんか、改めて、いっぱい、考え直しています。

「日本語」という言語について、「方言」(とされるもの)保存活動をしている方のお話を伺ったり、明治政府が標準語を制定した当時の資料を読んだり、そうした「標準の日本語」が強制された歴史がある土地……例えば奄美や台湾を歩いたりして、改めて向き合っています。自分が「日本語」で書くというのは、どういうことなのか。「自分の言葉」とは一体、なんなのか。オンライン文芸部「まきむぅの手乗り文芸部」でも、「辞書にない言葉を作って使ってみよう」っていうコーナーをやったりしています。

また、インターネットというものの使われ方が、スマホもSNSもなかったあの時代から現代に至るまでどのように変容していったか、その過程であの時代に置き忘れてしまっている大切なものがないだろうか、ということも、ようく、考えています。なんていうかやっぱりさ、便利になるにつれて、あまりにも「速く・軽く・短く」なっていってるなあ、って思うのね。こうやって「速く・軽く・短く」情報をやり取りする過程で……いわば、短距離走をしまくっているおかげで、なんていうか、長距離走の筋肉が落ちてしまうような現象が起こってる気がするのね。

SNSとかでメッセージのやり取りはしたことあるけど文通はしたことない相手」とか、「Wikipediaであらすじは読んだけどちゃんとは読んでない本」とか、そういうのがあるな、って人、多いと思うの。もちろんそれが一概に悪いとは言わないんだけど、「短距離走ばかりだと長距離走が走れなくなってしまう」的な危機感を、書き手としても読み手としても……言い換えれば情報の発信者としても受信者としても、抱いているところです。

ってことで、cakesで書きながら、このところ、考えてました。

・日本語(とされる言語)に飲み込まれず、向き合うことについて
https://cakes.mu/posts/26590
https://cakes.mu/posts/26014

・短距離走でズバッと結論を出そうとしない、バズりを狙わない、ゆっくり低温半身浴でじわじわ汗をかいてもらえるような文章をじ〜っくり書く試み
https://cakes.mu/posts/26401
https://cakes.mu/posts/25626

まだまだまだまだ考え中なんですけど、ちょっとこの辺で、改めて仕事に一区切りつけて次の章に行かないとなって思っています。世の中がどういう流れなのか、どういう渇きを癒すためのものが必要とされているのか。その上で、そもそも、その渇きを癒してクラクラさせるおいしい中毒性高いドリンクみたいなものを本当に作ろうとしていいのか。それは本当に栄養になるのか。確かにそういう方が売れるだろうけど、売れる、っていうだけで中毒性の高いものを噴射していいものか、もっとこう優しい雨みたいなものは作り出せないのか、もしくは、渇きを癒すものそれ自体を作ろうとせずに、渇いた人がそれでもオアシスまで自力で歩いていこうと思える勇気になるものを作った方がいいんじゃないのか、とか、とか。

まとめると、わたしがやろうとしてるのはタイトルの通りのことです。

(1)短距離走だけでなく長距離走も
(2)「文章だけ」から「音」と「音楽」へ。言い換えれば、声が聞こえるようなものを、スマホ越しのテキスト感だけでなくその向こうに人間がいる感じのものを

(2)的なものの一環として、SNS原稿用紙、というものをプロデュースさせていただきました。

twitter, instagram, facebookなどにぴったりのサイズ感で手書き投稿ができる、スマホでシャって発信できるようなものをあえて手書きするという一手間が取れる、スマホの向こうにちゃんとペンを持って言葉を紡いだ人が見える、っていうものを作りたかったの。まだまだお取扱店は少ないですが、東京・上野駅のアンジェビュローさんほか、各地の文具店さんで販売中です。

また、音楽と国際交流のイベント「ヨコハマインターナショナルジャム」(ハマジャム)も企画しました。

「飲める、食える、歌える、踊れる、弾ける、演れる、出会える、しゃべれる、言葉を超えて通じ合える」。楽譜なしで楽器を鳴らしあってコミュニケーションする「ジャムセッション」と、マイクを使ってしゃべったり歌ったりラップしたり詩を読んだり好きなことができる「オープンマイク」のイベントです。会場となる横浜本牧ゴールデンカップを、半世紀以上守って来られたマスターから、思い出深い写真を色々と見せていただいたり、壁に貼られた米兵たちの白黒写真やミュージシャンたちのサイン色紙を見たりして、思ったんです。「ああ、こうやって、アメリカ大統領がマジで壁を建ててたり、隣の国との関係が悪化していますよだなんてテレビでガンガン報じられてたり、そういう時代だからこそ、こういう場所で、音楽と国際交流のイベントをしたいなあ」って。特に横浜はわたしにとって、それこそ、いろんな国の人たちと机を並べて勉強して音楽をやる高校時代を送った場所だしね(神奈川総合高校出身です)。

そんな感じで、考えながら色々変えようとしています。

twitterはじめインターネットでの短文の配信や、表舞台に立つことは減らしていくと思います。その分、新潟、岩手、青森、高知、香川、今年はいっぱい自分の足で見て回って、じっくり長文を書く、っていうことを増やしていきたいと思います。

バズりたさ。
「いいね!」を押してもらいたさ。
スマホを切ったら、ゆたかな、静けさ。

(なんとなく五七七五七で韻を踏んだ)

へい、よー。

これから先は、マガジン「なんかこう、まきむぅたちとしゃべったりするとこ」で、少しお話したいと思います。おまけ写真と、ここについて今後考えていること。コメント欄を通してお話もできます。読んだコメントには♡を押しています。読んでくださってありがとうございました。

じゃ、ここの潜入写真!

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