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黄色のちから 〜陰と陽のバランス〜

すっかり、陽も長くなり、陽射しの中には可愛い春の妖精が踊っているかのような日も多くなりました。

3年前に手元にやってきたミモザさんは(↓3年前の写真です)こんなにもか弱くて、葉っぱがパラパラ散ってしまうことも多々ありましたが

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思いきって、“伸び伸び育っておくれ“と地植えにして、毎日会話をしているうちにみるみる成長してくれて、今では3階にも届きそうなほど、立派になりました。

幹の太さは大人の胴囲ほどはゆうにあろうかというほど、立派で、しっかりと大地に根付いています。マメ科なので、自身で窒素合成してくれますので、肥料などは不要。とにかく最初の土作りと、声をかけながらの水やり。これだけは楽しみながら続けました。

夏の頃に小さな蕾を支度し始めて、お正月すぎ辺りからほんのり黄色を帯びます。そして、ある時、ぽわっと花を咲かせ、ピュアな黄色が目に飛び込んできた時「わぁ!」と声に感激が漏れてしまうほどの明るい優しさ・強さ・可憐さを持ち合わせています。


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全貌をお見せしたいところですが、拙宅も写り込んでしまうので、しずくと凪とのショットを掲載します。

しずくは写真がとっても苦手です。そのため、カメラ目線を強要などしません。

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しずくのこういうところが可愛くて仕方ありません。

そして凪。カメラはスキではないものの、それなりのショットを撮影できます。

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自然体が一番可愛いと思っている親ばかなので、あるがままの今を写したいと思っています。

それにしても、このミモザのおかげで、道ゆく方が思い思いに写真を撮ったり、お散歩中のワンちゃんたちが記念撮影をしたりという場になっているので、この時世ながら、(かなり距離をとりながらですが)見知らぬ方と会話する機会が増えたり、マスク越しでも笑顔になったりと、随分と幸せな気持ちにさせて頂いています。

黄色は陽の色。元気の色、の象徴かもしれません。実際、漢方陰陽哲学でもそのような位置付けです。

元気がない時に、黄色に触れて元気が出ることも多い。ひらたく言えば、「陰」を過ごした時間の後、或いは、「陰」の影響を受けすぎる人は、「陽」の黄色に救われることもあるかと思います。

だから、春の花は、黄色が多いのかな?なんて思ったりします。

でもね、(ここからは完全に私見ですが)、陽をどうしても受け入れることができない時だってあると思うんです。

言ってみれば、“この明るさが辛いんです“というような状態。そういう時は、無理に「陽」にあたる必要はなくて、自然体で、黄色が明るさがお昼が日光が・・・心地よいと思う時まで待てばいいと思うんです。

或いは、「陰」を愛しているからこそ、「陽」というエネルギーを生み出すアーティストだっていると思います。

「陽」が良いもの、「陰」が悪いものという考えは大間違い。両方が存在して、そのバランスがそれぞれ個人によって違い、そして本人が自覚している以上に「陰陽」の影響を受けているということを知っているだけで随分と気分や体が楽になるように思います。

もっと、個人的な意見ですが、「ポジティブ思考」すぎる人は、そばにいる人を疲れさせてしまうように経験上感じています。正直に言うと、私個人は「ポジティブ星人」はちょっぴり苦手です。

だって「陰陽」でワンセットです。「陽」しかない、逆に「陰」しかないのは自然の摂理に反していないか?と思ってしまう。

「ポジティブ星人」すなわち「陰」のない思考には、「潤い」「優しさ」「たわみ」「余裕」のようなものがちょっと欠如しているように感じるのは私だけではないかも?

そう、「陽だけ=ポジティブだけ」には、無理や、自分に対する小さな嘘(言い聞かせ)が隠れているのです。

(もちろん「陰」だけでもバランスを崩してしまいます。同じ理論です。)

話が飛躍しました。ミモザの黄色をみて、うわぁ!と声をあげてしまうのは、大切に育ててきた親心、前年の夏から大切に育んできた蕾を大切に咲かせる健気さに感動する心、だけでなく、しっかりと「陰」の時期を過ごしてきた証でもあるのかなと思っています。

ちなみに、私は、「紫色」が大好きです。そう、黄色の補色なんですよね。

陰陽と季節。陰陽と色。陰陽と体調。陰陽と心もよう。面白い繋がりです。

私は、「陰」も「陽」も自分らしく楽しみたいと思います。


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