見出し画像

「小暑」 ガラスと季節の言葉たち

今日、2020年7月7日は「小暑」

小暑という言葉には、これから暑さに向かうという意味があるそうで。確かに今日のガラス工房は湿気もあって、とっても蒸し暑かった。

さて、この「ガラスと季節の言葉たち」というシリーズは、「書く」ことと「撮る」こと、そしてそれをおおやけに「出す」ことにもっと慣れたいな、という気持ちがあって、今年の春分から始めました。

最初は二十四節気に合わせて、それぞれの季節に感じたことと、その季節に合わせたガラスの写真を撮って載せる、というつもりでした。だけど、そもそも私はその季節を感じて、何かに心が動いてから作り始めるので、まぁ季節に追いつくわけもなく。結局作業途中の写真や、これから描くつもりの植物の写真を載せるかたちに落ち着きました。

ガラス工房に勤めていたときは、季節を先取りしてモノを作るのが当たり前でした。春に風鈴、夏に干支、秋にお雛様を作ったり、とまぁ勤めている時は、それが自分の中で新しい季節感になったりもして。店頭に並ぶのは実際それらが必要になる随分前からだし、当たり前のことなのですが。そうやって長いことそれが当たり前のこととして、季節を先取りしたものを作っていました。

ただ今年の個展は、「今」目の前の自分が感動した美しい瞬間を、そのまま作っていくことにしました。

個展というのは随分前から開催時期が決まっているので、その季節に合わせたものを用意するのが通常ですが、それだと「今」感動したものを作ると、個展の頃には季節感がずれてしまう、ということがありました。

例えば紫陽花に感動して、スケッチをして作品を作り始めて出来上がる頃にはもう、紫陽花の季節は終わっている。季節を先取りした展示を重視するとなると、紫陽花を作るなら来年、ということになってしまう。

でも来年の私はいつも、今の私とは違う。

この季節を先取りするという価値観は、茶道を始めとした日本人の美徳の一種であって、それは無視できないものだと思います。私も自分の中にある「描きたかったけどまだ作れていないもの」を季節に合わせて作ったりもします。でも、すべてが「その季節に合わせたもの」を基準にすると、作るまでのタイムラグがありすぎて面白くないなぁ、と。

そもそも先取りしなきゃ、という意識は工房に勤めていた頃の名残で、それは大量生産の「商品」をみんなで作っていたからこその決まりごとでした。

私が表現したいものは季節感というよりも、なにかを美しいと思った瞬間を、自分がもっとも美しいと思うガラスで表現したいというものであって、夏だから朝顔の絵付けをするとか、そういう考えから産まれてくるものではないよなぁ、と今年改めて思ったのでした。

私の尊敬している作家に桜ばかりをモチーフに作っている人がいて、彼女は秋の個展でも桜をメインに作って発表していました。それでも違和感がないのは、それが桜という春の記号のような花を、単なるパターンとして描いているのではなく、そこに彼女が見た「美しいもの」が宿っているからなのだと思います。

そう、花のかたちを描きたいのではなくて、生命力や佇まい、儚さと強さ、言葉にならない、ただそこにある一瞬の輝きを、描きたい。

一歩一歩、ゆっくりとだけど丁寧に心の変化を感じながら、進んでいけたらと思います。






記事を読んでいただいてありがとうございます。いただいたサポートは、次のだれかの元へ、気持ちよく循環させていけたらと思っています。