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「適当」が世界で一番"テキトー"な言葉

今まで、新しい人事システムの導入時期に、仕事を任されたことがある。一番最初は、クライアントから、ざっくりとした概要の説明と、ざっくりとしたマニュアルが渡される。比較的、マニュアルを読むのも、作るもの大好きなので、口頭で説明されたことと、マニュアルに書いてあることの違いなどをすぐに見つけてしまう。そうすると、一番最初の概要を教えてくれた人に質問をするのだが、「私もよく分からないんだよね、適当にやっといて」と言われる。そうすると、とてもイラっと、モヤっとする。

本来の”適当”の意味は、

ちょうどいい加減、適度は塩梅(あんばい)

と、「状況を見極め、臨機応変に対応し、常識の範囲内で処理すべし」だ。

だが、「適当」の意味が、まったく反対の

”きっちりやらなくていい”

の意味が含まれるから、どちらなのか、判断に迷う時がある。

”きっちりじゃなくていい”の意味を含む場合、だいたい感覚的なタイプの人発せられることが多い。その物事の成り立ちや、何故それをするのかの意味をあまり考えず、処理方法や手順だけを覚えるタイプだ。分かりにくく、よく理解できないものがあり、もともと意味があったはず。が、感覚的な人は、そのモヤっとする処理や作業に対し、「よく分かんないけど、まあ、いいか!」と自己解釈する。それだけならいいのだが、他の人に教えたり、伝達する時、自分の言葉できちんと理解し、説明が出来ないので、「あー、テキトーでいいよ」になってしまう。

もはや、適当を”良きに計らえ”という意味合いで使われることが少なくなってきた気がする。人に物事を教えるときは、”適当”であるべきで、”テキトー”であってはならないはずなのに。

追記:golchikiさんのイラストを使わせていただきました。ありがとうございました。



「人生経験の引き出し」がいっぱいあります。何か悩み解決のヒントになる話が提供できるかもしれません。