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キラキラしないものに魅了されることもある

ぼんじゅーる。皆さま、いかがお過ごしでしょう?

突然ですが、皆さま、クマ🐻はお好きですか??

かく言う私は、研究対象にしてしまう程、クマが大好きです。
テディベアにプーさん、パディントン、ケアベア、もちくま・・・と挙げるときりがありません。
(好きが故に修論のテーマにしたのですが、執筆の大変さから「なんで好きなものにこんなに苦しめられなきゃいけないんだ・・・!!!」と泣きながら書き上げたのはいい思い出です(笑))

昨年、童話『3匹のクマ』を題材にした論文を書き上げ、只今発表の準備に取り掛かっているわけですが、ふと考えてしまいました。
なんで私はクマが好きなんだろうか?と。

大抵の場合、人間にとって恐ろしい“害獣”でしかないクマ。
椋鳩十の作品等を読んでも、可愛らしさよりもその凶暴さがどうしても際立ってしまいます。

確かに、森のなかでクマに遭遇したら、死を覚悟せざるを得ないのだろうなぁと漠然とした恐怖はあります。
しかし、それ以上に、この動物にメランコリックな感情を抱いてしまうのです。

歴史研究家パストゥローは、自身の著書において、この動物が「理不尽で不当な扱いを受けてきた動物」であることを指摘しています。
かつてはクマは“権力の象徴”であり、“百獣の王”とされていました。しかし、ケルト民族などの土着信仰とあまりにも強く結びついていたため、その状況を警戒・危険視したキリスト教から熾烈な弾圧を受け、ついにはその王座をライオンに奪われてしまいました。
キリスト教によるイメージ操作によって、不当にもその地位を明け渡すことになってしまったクマ。
その後もキリスト教のネガティブキャンペーンによって、“クマ=悪魔の化身”や“クマ=愚鈍で、間抜けな動物”といったイメージを植え付けられてしまいます。極めつけは、サーカスで調教されるクマ(三輪車に乗るクマの姿を写真などで目にしたことがあるのではでしょうか)の姿によって、“クマ=人間に支配される、下等な生き物”といったイメージが広く流布されました。ただただ不憫でなりません。


そんなクマのイメージの変遷を念頭に、ふと自分自身の生きる日々の生活に目を向けてみると、何だか他人ごとには思えないような気がしてなりません。
例えば、職場などにおいて、年齢や経験の差、性別などを理由に、上司の勝手な思い込みによるレッテルを貼られたり、責任を押し付けられたり、正当な評価を受けられなかったり、と理不尽なことだらけ。
抗議してみようかと思ったことも何度もありましたが、職場ではなるべく波風を立てず穏便に過ごしたいと、グッと堪えてみたり、感情を飲み込んでみたりしてきました。嫌われる時は、何もしなくても嫌われる。その逆もまた然り。

年齢を重ねるほどに、「あぁ理不尽だな・・・」と思うことが増え、その度になんとなく、本当になんとなく、クマの辿った歴史と人間のそれは似ているなぁと感じるのです。

“可愛い”とか“癒される”といったポジティブな理由ではありませんが、こんなネガティブな理由で惹かれてしまうのもアリなのかも・・・と思えるようになった今日この頃。
博論執筆、そして研究を続ける上で、この動物とは一生涯付き合っていきたいものです。

#クマ  #🐻 #生きることは時に理不尽  

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