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同じクラスのオナクラ嬢 第44話

 ただいま、と部屋に入ってきた私を見て、紫乃は「お“ね”え“ち”ゃ“ん”っ!」と泣きながら車椅子ごと突進してきた。膝にダメージを喰らい「お“ぉ”っ!?」と変な声を出してしまったが、私は冷静を装い、紫乃を抱きしめ頭を撫でる。
「良かったぁ……! 帰ってきたぁっ……! 良かったぁ……!!」
 子供の様に、紫乃が泣きじゃくっている。鼻水を垂らし、わんわんと泣いている。当然だ。まだまだ、紫乃は子供なんだから。普段は大人びている癖に、こういうところが可愛い。
「ごめんね、心配かけて」
「ほんとだよぉ……っ!! どこにも行かないでぇっ……!!」
「行かないよ。行かないから。ずっと傍にいるから。ね」
 あの後、沖内くんを病院に連れて行くという唐沢さんと別れ、警察から簡単な事情聴取を受け、一時間程で解放され、こうして大切な人がいる我が家に帰ってくることができた。
 心配なのは、沖内くんだ。無事でいるだろうか。ホテルで、唐沢さんとした会話を思い出す。

「唐沢さん」
 彼女の名前を呼びかけた私の方を、唐沢さんは振り向いた。
「えっと……ごめ――」
「無事でよかったよ」
 唐沢さんは、言った。
 そして、私の頬にそっと指で触れて「ごめん。綺麗な顔に、傷つけちゃった」と申し訳なさそうな顔を見せる。
「そんなっ……。謝るのは、私の方だよ」
「うん、そうだよね」
「え」
「っていうか、さっきもなんで正とキスしたの? 私の目の前でさ。またビンタされたいの?」
「あ、あの……あれは……っ」
 滝のような汗を流す私を見て、唐沢さんはふっと微笑んだ。
「九条さんって、女神でもなんでもないよね」
「め、女神……?」
「知らない? うちの学部の男子、九条さんのこと女神って呼んでるんだけど。九条さんのことを知れば知るほど、そんな感じじゃないのがわかる。九条さんもさ――」
 唐沢さんの瞳が、私の瞳をまっすぐに捉えた。
「普通の、女の子なんだね。不器用で、我儘な、普通の女の子」
「……唐沢さん」
 そういう意味では、唐沢さんも同じだよ。
 王子様、なんて呼ばれているけど、本当は、嫉妬深くて、独占欲が強い、普通の女の子だよね。
「私、あの時、嬉しかったんだ」
「あの時?」
「私が、正から強引にキスされて、傷ついていたとき、九条さんは慰めてくれた。あの時奢って貰ったカフェラテは、私の人生の中で、一番美味しいカフェラテだった」
 唐沢さんの目元が、ふわっと柔らかくなる。
「あの時の借り――これで、返せたかな」
 その笑顔は、女子たちから王子様と呼ばれるのも納得できる、凛々しく、優しい微笑みだった。
「でもまた正に手を出したらころ――ああ、救急車も到着したみたいだ。私、正と病院に行くから。じゃあね、九条さん。今日はゆっくりしてね」
 そう言って、唐沢さんは部屋を出て行った。今、何を言おうとしたのだろう。私の背筋はすっかり冷え切っていた。

 ぎゅっ、と温かな腕が、私の背中に触れる。
 紫乃が、私の背中に腕を回し、私の胸に顔を埋め、肩を震わせている。
 大丈夫。いなくならないよ。
 安心させるように、紫乃の頭を何度も撫でた。
「えっと……」
 声がした方へ顔を向ける。
 リビングの入り口に、鏡花が所在なさげに立っている。
「友里ちゃんも帰ってきたことだし、私、帰るねっ……」
 私とは目を合わせようともせずに、鏡花が、玄関の方へ向かおうとする。
「鏡花っ」
 名前を呼んで、呼び止めた。
「聞いたよ。私のために、色々、頑張ってくれたって。ありがとう」
「……別に」
 まだ、顔を向けてくれない。
 まだ、目を合わせてくれない。
「何を言っても、言い訳にしかならない。私は、友里ちゃんを傷つけるようなことをしてたんだ」
「だから、何も言わないの?」
「……だって、もう、嫌われてる」
「私は、聞きたいよ。鏡花の口から。なんで、そんなことをしてたのか。なんで、私がいいなって思った人を、鏡花が奪うようなことをしてたのか。鏡花の口から、聞きたい」
「そんなのっ……」
 鏡花が、振り返る。
 その瞳には、涙が溜まっていた。
「そんなの、友里ちゃんが好きだからに決まってるじゃんっ!!」
 初めて見るかもしれない。
 鏡花の、そんな崩れた表情を。
 高校の頃だっただろうか、昔、鏡花が言っていた台詞をふと思い出した。

 ――私さ、女の前で泣く女嫌いなんだよね。
 ――まだ、男の前ならわかるよ。涙は女の武器だから。
 ――でも、女の前って、それもう、ガチじゃん。ガチ泣き。
 ――そんなみっともない姿、私は絶対に見せないね。

 あんなこと言っていたのに。
 目の前にいる鏡花は、涙を拭おうともせずに、涙を流しながら、言う。
「誰にも取られたくなかった! 友里ちゃんを! 誰にもっ! 友里ちゃんの隣に、ずっと、私がいたかった!! 友里ちゃんが他のヤツと仲良さそうにいる姿を想像するだけで、狂いそうになるっ!! 好きなのっ!! 友里ちゃんのことがっ!! 本当にっ……!! 友里ちゃんのためならなんだってできるっ!! 友里ちゃんのためなら何を捨てたっていい!! もう、いいっ!! 引かれてもいいっ!! 全部言うっ!! 友達として好きとかじゃなくてっ!! 男女の関係みたいな!! 本気で付き合いたいって思ってるくらい好き!! えっちなこともしたいって思ってる!! それくらい大好きっ!!」
 ほとんど一息で思いの丈を言い終えた鏡花は、はぁはぁと息を荒くしながら、顔が真っ赤になり、かと思えば青ざめ、視線を逸らした。
「引く、よね……こんな女……。ごめん。忘れて。言われた通りにするから。もう、友里ちゃんの前に、顔出したりしないようにするから。じゃあ、私――」
「鏡花」
 鏡花の背中が、止まる。
 紫乃が、私の胸から顔を離して、鏡花と私を交互に見ている。
「いつも、ありがとう」
「え……?」
「いつも相談に乗ってくれて。いつも楽しませてくれて。私の人生には、ずっと、隣に鏡花がいたね。今の私があるのも、鏡花のおかげだって、本当にそう思ってる」
 鏡花が、また、振り返った。
 涙で顔が、汗で髪が、ぐしゃぐしゃに乱れている。
「転校して、鏡花から声をかけられたあの日から――私の人生に、灰色だった世界に、色がついたんだ」
「友里、ちゃん……」
「勝手なお願いなんだけど」
 紫乃の肩を優しく叩き、私は、鏡花の方へ近寄る。
「あ、待って、今、顔、見ないで……酷いから……」
「酷くないよ。鏡花はいつだって可愛いし美人だもん。初めて会った時から、ずーっと、私の憧れなんだから」
 鏡花の顔に、赤みが増していく。
「お願い、鏡花。これからも、傍にいてくれないかな」
「でもっ……私っ……さっきも言ったけどっ……友里ちゃんのこと、友達として、見てないんだよっ……気持ち悪いでしょ、そんな女っ……」
 手を伸ばす。
 届いた。
 鏡花の手に、指に、私の指を、絡める。
「だから、そういうのも含めて、だよ」
「えっ……」
「私も、鏡花のこと、好き。友達としても、女性としても」
「――っ!!」
 ぼんっ、と鏡花の頭から水蒸気が出たのでは、と思うような音がした。
「それに、ね。早速、相談に乗ってもらいたこともあってさ……」
「え、な、なに……?」
「恋が成就したばかりで言うことじゃないのかもしれないけど」
 すぅ、と息を吸い込む。
 言葉に出すのが、とても、苦しい。
「さっきさ、私、失恋しちゃったんだ」
 気づけば、無理に笑顔を作っていた。
 鏡花が、そんな私の顔を、無言のまま、じっと見てくる。
「ほんっと、あいつさ、沖内くんさ、見る目ないよね。唐沢さんより、絶対、私の方が魅力的だと思わない? 顔だって良いし、胸だって大きいし、あんなすぐ暴力ふるうような女より、絶対私の方が良いよね。まあ、価値観がバグってる者同士、そういう意味じゃお似合いかもしれないけど――」
「友里ちゃん」
 鏡花が、ぎゅっと私のことを優しく、けれど力強く抱きしめた。
「無理しなくていいよ」
「……っ」
 きゅぅっ、と胸が、締め付けられる。
「私の前でなら、いいんだよ。本心を見せて。泣きたい時は、泣いた方がいい」
「……ぁっ……」
 その言葉に。
その温もりに。
抑え込もうとしていた気持ちが、決壊する。

「あああぁぁぁあぁぁぁぁぁああぁぁぁあぁぁっ!!」

 ――僕には、晶がいる。九条さんよりも大切な晶がいる。九条さんよりも大好きな晶がいるんだ
 ――晶は、僕の大切な恋人だっ!!

 知らなかったなあ。
 失恋って、こんなに辛いんだ。

 小さな私が――幼い私が、私のことを見ていた。
 手に持っているのは、文庫の恋愛小説だ。
 今思えば、ありふれた男女の出会いが描かれていた内容だ。
 海でナンパされているところを、同級生の男子が手を引いて助けてくれる。
 そんな、陳腐で、漫画のような場面に、幼い頃の私は憧れていた。
 いつか自分にも、そんな男の人が、きっと現れてくれる、と。
 ねえ、そんな素敵な男性、現れた?
 本を胸に抱えながら、幼い私が、そう聞いてきた。
 現れたよ。
 私の答えに、幼い私の顔が、ぱぁっと明るくなった。
 凄い! 素敵!!
 でも、と私は続けた。
 でも、他に好きな女性がいるんだって。
 その言葉に、悲しむかなと思ったら、幼い私は眉を寄せて、言う。
 そうかぁ。ままならないねぇ。
 その言葉が妙に可笑しくて、私は吹き出してしまう。
 そうだねえ。ままならないねぇ。
 でも、大丈夫だよ。
 それでも、私のことを特別に好いてくれる人が、現れるから。
 その人のおかげで、私の人生は、豊かになるから。
 だから、大丈夫だよ。

 私は、泣きながら、鏡花の背中に腕を回した。
 顔を上げると、鏡花と目が合う。
 しばらく見つめ合った後、

「やだな。どっちも、ガチ泣きじゃん」

 照れくさそうに、鏡花が言う。

 私たちは、ふふっと笑い合い、そのまま唇を重ねた。

 その様子を、顔を両手で覆いながらも、指の隙間からしっかりと紫乃が見ていた。

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