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同じクラスのオナクラ嬢 第3話

「それは、その沖内って男子がゲイなんじゃない?」
 大学から4駅ほど離れた駅の東口から出て徒歩五分の路地裏に、私がバイトをしているお店『ストロベリーハート』がある。三階建ての建物で、一階はバーになっており、そこのマスターの蔵人ママが三階を自分の住居とし、空いている二階をいわゆるレンタルルームのようにして、オナクラ店として経営している。
 それゆえ、顧客も一階に来る常連さんがほとんどで、さらに二階のオナクラ店を利用するためには厳選なる蔵人ママの審査がある。それを無事合格して専用の会員となった男性だけが上のお店を利用できる仕組みになっているため、私自身今まで厄介な客に当たったことはない。基本的にはみんな紳士だし、お金払いも良く、こちらに手を出したりはしてこない。会員になるために個人情報を提出している、というのも背景にあるだろうし、顧客了承の上、部屋には監視カメラも用意されていることから、そこら辺のお店で働くよりはよほど安全であるし、蔵人ママは幼い頃から知っている関係でもあるので、信頼できる。
「絶対にそうよ。間違いないわ。普通の男だったら、友里ちゃんにそんなこと言えるはずないもの」
 蔵人ママは筋肉隆々の屈強な身体をくねくねとさせつつ、グラスを拭きながら言う。二階利用の予約が入っている時間まで少し時間があったので、私は一階でお茶を貰いながら、カウンターで沖内のことを相談していたのだ。
 あの日――沖内に金融学のノートを借りようとして断られた日、私は沖内の三限目終わりに一緒に帰ろうと誘った。信じられなかったからだ。男子に、自分の頼みを断れたことが。男子に、冷たい言葉を吐かれたことが。きっと、何かの気の迷い。何かの手違いがあったはずだ、と。何か悪い夢だったに違いない、と。
 しかし、一緒に帰ることを提案した私に、沖内は言い放った。
 
――講義もまともに出ないような低能と僕が帰るわけないだろ。頭わいてんのか。

 ショックのあまり、その場で固まって立ち尽くしてしまった私は、後から追いかけて教室に入ってきた名越鏡花に肩を揺らされるまで意識が飛んでいた。気づいたときには沖内はこちらに背中を向けた状態で教室の出口側にいて、隣にいたやたら美形な学生が申し訳なさそうに私の方に頭をぺこぺこと下げながら、その沖内の腕を取って逃げるように教室から出て行ってしまったのだ。その時はもう、追いかける気力が、精神力が、私から失われていた。
「ゲイ……」
 蔵人ママの言葉に、一条の光が射し込んだ気持ちになる。
「そうかも! そういえば、隣に男子がいた! なんか腕引いてた!」
「そうでしょ! なんなら今度うちに連れてきなさい! 私、ゲイを見抜くの得意なのよ! 今朝だって、うわゲイがいるって思ったら、鏡に映った私だったわ!!」
「そっか、そうだよね。ゲイなら私の魅力がわからなくても仕方ないよね」
「そうそう。友里ちゃんは美人で可愛くて千年に一度の美少女なんだから。ウチでも圧倒的にトップの成績だし、自信持ちなさい!」
「うん、ありがとう蔵人ママ! 私、頑張る!!」
 私は冷たいお茶を飲み干して、空になったグラスをカウンターに置いた。
 まったく、この自分があんな男に一時でも心を乱されてしまったとは、不覚だ。沖内には私の魅力がわからなくて当然だったんだ。だってあいつはゲイなんだから。なら仕方がない。ノーカウントだ。取り乱して損した。もうあいつのことを考えるのはよそう。精神衛生上良くない。忘れよう。忘れるのよ、友里。
 カランカラン、と入り口ドアのベルが鳴る。
 振り返ると、3,40代くらいのストライプスーツを着た紳士が立っていた。何度か見た顔だ。男は、薄手のコートを脱ぎながら言う。
「今日は寒いねママ。ホットワインを、ぬるめで」
 その言葉は、二階利用者の合言葉だ。
行ってらっしゃい、と蔵人ママが呟く。
 今日はいくら稼げるだろう。
 まだ足りない。まだ届かない。
 もっと、もっと、稼がないと。
 私は立ち上がり、二階へ続く階段を隠しているカーテンを開けて、紳士を手招きした。

「おはよう、友里ちゃん」
 一限目の政治学の講義がある教室に入り、準備をしていると、鏡花が隣に座って話しかけてきた。
「そういえば、今日からだよね」
「なにがでちゅか?」
「ゼミだよ。なんだか緊張するね。他のゼミ生たちと会うのも初めてだし」
「そうでちゅね。こわいこわいでちゅね」
「ところでなんでさっきから赤ちゃん言葉なの?」
「五限目と六限目だったよね、ゼミ。D棟の201だったっけ」
 危なかった。
 昨日のお客さんが赤ちゃん言葉をリクエストしてきてそれに応えたから、その口調が少しだけ残ってしまっていた。危ない危ない。もう少しで鏡花に異変を気づかれるところだった。親しい友人とはいえ、さすがにオナクラで勤めているなんて言えないからね。
「いや、ごまかさないでよ。なんで赤ちゃん言葉だったの」
「私たちも無事に三年生になれて良かった。これも鏡花が友達から金融学のノートを借りてくれたおかげね。ありがとう、鏡花。あなたがいてくれて良かった。感謝してる」
「ばぶばぶ」
「あ、教授入ってきた。講義始まるみたい。さ、集中しなくっちゃ!」
 さすが私。うまく誤魔化せたみたい。
 黒板の方を見ると、最前列の中央、教授側から見て真ん前の席にゲイの沖内が座っているのが見えた。あの時と同様、隣にはキャップを被った美形学生が並んでいる。やはり彼と付き合っているのだろうか。どうでもいいけど。あれから二か月近く経ったが、あれ以来ゲイの沖内とは会話もしていない。そもそも本来交じり合わない人生だったのだ。今までも、これからも。どうかそっちはそっちで素敵な人生を歩んでくれたらいい。私は私の物語を生きる。ゲイの沖内なんかに使っていい時間なんてない。さらば沖内。今後、私たちの人生が交じり合いませんように。

「商学部の沖内正です。今年で21歳になります。出身は神奈川県です。堀田ゼミでは理論的考察力を磨き、その上でウェルビーイングで創る未来市場を――」
 交じり合ってしまった。
 私の右隣で、ゲイの沖内が、私を含むゼミ生の皆に自己紹介と今後ゼミで何をしたいかということを憎たらしいほどハキハキと話している。
 どうしてこんなことになってしまったのか。
 私が堀田ゼミを選んだのは、大学で一番就職に強いゼミと言われているからで、それ故に競争率も高く、専用の試験まであった。筆記試験と堀田教授による面接試験だ。私は可愛い上に頭も良く器量が良いので当然合格し、事前に相談したわけでもないのだが鏡花も堀田ゼミを希望して合格していた。
 今年堀田ゼミに入れるのは5人、というのは聞いていたが、堀田教授の計らいで、誰が堀田ゼミに入るのかは当日の顔合わせまでのお楽しみということになっており、私たち以外の残りの3人は誰なんだろうね、なんて話を鏡花としていた。
 お前だったのか、ゲイの沖内。
「どうしたの友里ちゃん、顔、ひきつってるよ」
 左隣に座っている鏡花が、肘で私をつつきながら小声で言う。
「あ、うん、なんでもない。大丈夫」
 そうだ、なんでもない。確かにゲイの沖内は私の魅力を理解しない男だが、それはゲイ故のこと。仕方がないこと。そうじゃないか。だから気にする必要なんてないんだ。気持ちを落ち着かせよう。荒立てる必要は皆無だ。
 堀田教授を囲むように円の形で5つ椅子が並んでいて、私の左隣には鏡花が、右隣にはゲイの沖内が座っている。いつの間にか自己紹介が終わったらしい。そのゲイの沖内の右側で立ち上がったのが――
「商学部の唐沢晶です。出身は神奈川で、隣の沖内とは実は中学からの幼馴染なんですが、正直、ここまで一緒なのかと自分でも呆れています」
 出た。おそらくはゲイの沖内のパートナーだ。本人も言っているが、いくら恋人だからって、何もゼミまで一緒にしなくても良いだろうに。
「わ、かっこいい」
 ぽつりと、隣の鏡花が小さく呟く。
 唐沢晶。確かに背丈があってスタイルも良く、顔も小顔で、相当に美形だ。こういう時くらい脱げばいいのに、人前が苦手なのか、目深にキャップを被っている。声は高めのハスキーで、声だけを聴いていたら女の子と勘違いするかもしれない。なんにしても、私にはどうでもいいけど、ゲイの沖内には勿体ないくらいの人物ではないだろうか。
 当のゲイの沖内はと言うと、ゲイだから仕方がないのだろうが、隣に座る超絶美人の私ではなく、違う方へ視線を向けている。パートナーの唐沢くんでもない。その隣の女子の方を見ている。それも、どこか気まずそうな様子で。
 それが、私には少し気にかかった。
 気づけば、唐沢君の自己紹介も終わり、その隣――ゲイの沖内が気にしている様子の女子が自己紹介のために立ち上がる。私と鏡花はすでに自己紹介を終えているので、今年度の堀田ゼミ新入生で自己紹介をする最後のひとりだ。
「法学部の神永梨奈です。浪人していたので皆さんよりは年上ですが、気にせずに接してくださいね」
 どうして、と隣のゲイの沖内が小さく呟く。
 何がどうしてなのか。浪人する人だってそりゃあいるだろう。うちの大学はそこそこ偏差値だって高いし。世の中には浪人する人なんていないとでも思っているのだろうか。
「同じゼミ生同士、仲良くできたらいいなって思ってます」
 笑顔でそう語る神永さんは実に可愛らしい。年上ということだが、言われなければ年下だと勘違いしそうな、言ってみれば小動物的な雰囲気を醸し出していて、彼女を見た世の男性は「こいつは俺が守ってやらなくては!」と保護欲を刺激されることだろう。これでも私は人を見る目には自信がある。神永さんは大人しそうで、性格も良さそうだ。きっと仲良くなれるだろう。
「今日は来てメンバーに驚きました。特に、うちの学年で一番の美女の九条さんと一緒のゼミだなんて、私、光栄です!」
 ほら。間違いない。良い子。
「えー!? そんなこと言われたの初めて! 私なんて、そんな、全然! 私より可愛い女子なんてたくさんいるよ!」
 私は思ってもいない謙虚な事だって言える。偉すぎる。
「九条さん以外にも、凄いメンバー! 沖内くんなんて、学年一の天才だし! こうして会うのは初めてだけど、見るからに頭良さそうですね!」
「はじめて……?」
 ゲイの沖内が眉を寄せる。
「初めてですよ! ね!!」
「いや、神永さん、それは――」
「沖内」
 何か言おうとしたゲイの沖内を、唐沢君が呼び止める。
「あっちがそう言ってるんだから、そういうことにしとけ」
 神永さんには聞こえないくらいの声で、冷ややかに言う。
 ゲイの沖内は、腑に落ちない、といった様子で首を傾げながらも、何も言わないことにしたようだ。
 なんだろう。なにかわけありなのか?
 まあ、なんだっていいけど。
 そんな自己紹介も終わり、今後の活動について軽く説明があった後、今日の顔合わせは解散となる。堀田教授は去年はゼミ活動はしていなかったようで、4年の先輩たちは存在しないということだった。
 予定があるから、とまずは神永さんが慌ただしく教室を出て、次に「あまり遅くならないうちに帰るんですよ」と堀田教授が教室を後にする。
 特に残る意味もないので私も鏡花と帰ろうとしたが、そこでゲイの沖内と目が合った。無視をするのも印象が悪いし、もう敵視する必要もない。同じゼミの仲間だ。挨拶くらいはしておこう。
「これから2年間よろしくね、沖内くん。卒論とかでわからないことがあったら甘えてもいいかな♥」
 帰り支度をしていた唐沢君が何故かぎょっとしてこちらに来ようとした時だった。ゲイの沖内が、私をはっきりと見据えながら言った。

「身の毛のよだつようなことを言うなよ、ブス」

 こいつ、いつ殺そう。



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