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同じクラスのオナクラ嬢 第8話

「それは大変だったな」
 僕が笑いながら言うと、唐沢晶は「笑い事じゃないって」と溜息をついた。
 熱海合宿2日目。朝食会場である和室の大広間に僕が行ったときにはすでに堀田教授と唐沢が正座してお膳の前に座っていた。僕も堀田教授も浴衣だが、唐沢はすでに私服に着替えている。
「もう一緒のゼミになって三ヶ月くらい経つのに、まだそんな勘違いしてるとは思わなかった」
「美形ですからね、唐沢くんは」
 くくっと可笑しそうに笑う堀田教授を見て「教授まで。笑わないでください」と唐沢がそっぽを向いた。
「そんなに男っぽい顔してるかな、私。これでも結構ショックだ」
「まあ服装もメンズっぽいの好んで着てるしなぁ」
「苦手なんだよ、ヒラヒラしてるのとか、ふわふわしてるのとか、ああいうのが」
「でも、男っぽい顔とは思わないけどな。睫毛も長いし、唇もぷっくりしてるし、肌は綺麗だし、首筋も色気があるし、中学の頃に比べたら――あの時はあの時でかなりイケメンだったけど、今は今で相当美人なのにな。なんで勘違いするんだろう。唐沢は美人なのに」
「……いい、やめて」
 男に間違われたのがそんなにショックだったのか、顔を俯かせてしまう。怒っているのか、顔も少し赤い気がする。
「そのあとはどうなったんですか?」
 堀田教授の問いかけに、唐沢は少し顔を上げて、さっきの話の続きをしてくれた。昨晩、大浴場の脱衣場で九条友里さんと名越鏡花さんと鉢合わせをして、自分が女だということに驚き、名越さんが倒れてしまった、という話の続きからだ。
 すぐに目を覚ました名越さんは、信じられないという様子だったが、唐沢の裸体をくまなく観察することでようやく納得してくれたという(唐沢にとってはとても恥ずかしかったらしい)。その後は三人で露天風呂に入り、ガールズトークに花を咲かせたとか。
「女の子だけの会話は怖いですね。わたしの悪口とか言ってませんか?」
 冗談交じりに言う堀田教授に「みんな教授のこと好きですから。私たちの推しは今日もかっこよかったね、って話してましたよ」と唐沢は微笑む。
「それは良かった」
「僕の話題とかは出てなかったのか?」
 今度は僕が聞くと、唐沢は少しだけ逡巡する様子を見せてから、
「……そういえば、出たな」
「え、どんな話が? 結婚したいとか?」
「名越さんが訊いてきたんだ。私とお前がいつも一緒にいるから、ホントは付き合ってるんじゃないかって。私が女だとわかって、気になったらしい」
 その言葉に、僕は思わず笑ってしまう。
「はは、そんなのあるわけないのにな。僕と唐沢が恋人って。ははは、ありえねーっ」
そういえば九条さんからもそんなことを訊かれた記憶がある。他人から見ればそれくらい距離が近く見えるのだろうか。
「……ああ。そうだな」
 唐沢が静かにお茶を飲む。心なしか声が小さくなった気もするが、髪で隠れて、表情がよく見えない。
「おはよーございまーすっ!」
 元気に大広間に入ってきたのは、名越さんだ。隣の九条さんは、顔をしかめ、細い目を擦りながらながら静かに「おはようございます……」と入ってきた。
「お、晶ちゃん、おはよう。今日も麗しいね」
 にこにこと笑顔を浮かべながら、名越さんが唐沢の隣に座る。当の唐沢は苦笑いだ。
「聞いてくださいよ、教授。私、昨日晶ちゃんと凄い接近したんですよ!」
「ちょうど、その話を聞いてましたよ」
「あ、そうなんですか!」
 そんな元気な名越さんをよそに、九条さんが無言のまま僕の対面の席にゆっくりと座る。
「眠そうだね、九条さん」
「私、朝、だめなの……」
 口元を手で押さえ、小さく欠伸をした。ゆらゆらと左右に揺れ、今にも眠ってしまいそうだ。
「あとは神永さんだけですが……おや」
 堀田教授が携帯電話を取り出し、画面を近くに寄せ、離して改めて見て、それを仕舞いながら言う。
「連絡が来ました。ごはんよりも寝ていたいようです。私たちだけでいただきましょう」
 神永さんがいないと少し気が楽だ。僕は少しほっとした。
 対面の九条さんは「いいなぁ」と小さく呟いている。

 朝食を食べ終え、少し休憩しているときに神永さんも髪ぼさぼさのまま合流し、二日目のゼミ授業が始まった。昨日出された課題について各々発表をし、マインドマップを活用した未来計画を立て、それについても皆で発表をし意見を言い合う――という時間を過ごしていたら、あっという間にお昼になっていた。
「さて、皆さん、お疲れ様でした。ゼミ合宿はここまでです」
 堀田教授の言葉に、僕たちは固まってしまう。一番最初に口を開いたのは神永さんだ。
「あれ。でも、確か17時までって話じゃなかったでしたっけ?」
 みんなも、うんうんと頷いている。
「私は皆さんの自主性を大切にしたいんですよ。このまま帰るも良し。時間まで熱海に残って何かを得ようとするのもよし。ただ単純に遊ぶのだって構いません。人生は一度きりですし、この瞬間は、二度と訪れない時間です。各々自由に考えて行動してくださいね。それが、あなたたちの人生の血肉となるのですから」
 堀田教授はそう言うと、「ではまた来週のゼミで」と麦わら帽子を被って部屋を出ていってしまった。
 大広間に残された僕たちは、唖然としてしまう。
「教授が熱海で遊びたいだけなんじゃ……」と神永さんが呟く。
「わー、こんなことなら月曜に講義入れなければ良かった。そうすればもう一泊したのに。あ、むしろ休んじゃおうかな。友里ちゃんもどう? もう一泊しない?」
 名越さんの提案に、九条さんは首を横に振った。
「いや、私今日の夜バイトあるから」
「ああ、バーでバイトだっけ。場所教えてよー。今度行くから」
「……それはちょっと恥ずかしいから秘密」
 九条さんはどこか言いづらそうに苦笑する。
「帰っていいなら私は帰りますね。やらなきゃいけない課題もあるから」
 神永さんが眼鏡の位置を直しながら、鞄を持った。
「えー神永さんがいなくなると寂しくなるなぁ」
「ふふ、ごめんなさい」
 名越さんの言葉に神永さんは笑顔で返し、広間の出口へと向かう。僕とすれ違う際、僕ですら聞き逃しそうなくらいに小さな声で、「思ってもいないくせに、うざい女」と呟いたのが聞こえた。
 そして、出口で振り返り、満面の笑顔で、言う。
「では皆さん、楽しんでくださいね。また来週」

 残った四人――僕と、唐沢と、九条さんと、名越さんは、せっかくだから、ということで夕方まで熱海を観光してから帰ろう、ということになった。
 駅前で牛乳瓶に入ったプリンを食べたり、「秘宝館ってなに? 楽しそうだから行ってみたい」とねだる九条さんを止めたり、トリックアート館でみんなで写真を撮り合ったりと、まるで修学旅行のような愉快な時間を過ごし、時間が過ぎるのがあっという間だった。
 最後にどこか見ておきたいところはあるか、という唐沢の問いかけに、僕と九条さんは「海!」と同じタイミングで発し、顔を見合わせて、笑った。お互いに水着を新調していたことを知り嬉しくなってそれぞれ持ってきた水着を鞄から取り出して見せたりもしたが、名越さんに「海開きは7月からだよ」と冷静に言われ、落ち込みながら水着を鞄の中に仕舞うのも二人同時だった。
 結局、入れなくても海は見たい、ということで熱海サンビーチまで皆で足を運んだ。海に着いた途端に九条さんは靴と靴下を脱ぎ、砂浜を裸足で駆け、スカートを持ち上げながら、海に足を入れた。冷たーい、と楽しそうに笑う。
「沖内くんも来なよ。気持ちいいよ!」
いつもの九条さんのイメージからは遠く、子供っぽいその姿に、僕は目を奪われ、刹那的に言葉を失ってしまう。その感情を言葉にするのは難しいが、彼女の光景はなんだかとても愛おしく、神々しいものに感じたからだ。
「あ、うん」
 ようやく、という思いで言葉を絞り出し、僕も靴を脱いで海へと向かう。
 九条さんが、そんな僕に、嬉しそうに水をかけてきた。初夏の夕方前の海の水は冷たく、塩辛い。
「海好きコンビが仲良さそうで何よりだよ」
 名越さんの言葉に、唐沢が頷いているのが見える。
「冷たい飲み物でも買ってこようかな。行こ、晶ちゃん」
「えっ、ああ、うん」
 名越さんは唐沢の手をとって近くのカフェへと向かう。あのふたりもあれはあれで仲が良さそうだ。
 まだ海開きしているわけではないから人はまばらだが、砂浜に座って本を読んでいる人や、犬を散歩させているカップル、写真を撮っている観光客、子供を先頭にしてその歩く様子を微笑ましく見ている若い夫婦、買い物帰りかパンがはみ出た袋を持っている女性、チャラそうな男にナンパされている九条さん、シートを広げて横になっている人など、様々な人がいる。
 ん?
 今、何か見過ごしてしまったような。
「は? だから嫌だって言ってるんだけど」
「そういうこと言わないで、お茶くらいつきあってよ」
 ちょっと目を離した隙に九条さんがナンパされていた!
「俺、地元では平成のキムタクって呼ばれてるんだぜ。絶対楽しいからさ」
「むしろ平成はキムタク全盛期でしょ。無理だから。ナンパしたいなら他の子誘って」
 相手の男は黒くて筋肉質な上半身を見せつけるような短パン姿で、不自然なくらいに白い歯で笑顔を見せながらも、次第に言葉が荒くなる。
「いいから来いって言ってんだろ」
「ちょっと、触らないで!」
 どうする。どうすればいい。ふたりが帰ってくるのを待つか。いや、それまでに九条さんに何かあったらどうする。なんでみんな見てるだけなんだ。助けなきゃ。どうやって。喧嘩なんてしたことない。強そうだ。勝てない。考えろ。神永さんと付き合う前にいっぱい勉強したじゃないか。恋愛ドラマもいくつも観た。何か似たようなケースはなかったか。その時主人公はどんな行動をとっていた?
「うるせえよ、来い」
「いたいっ! やめて!」
 駆けていた。
 九条さんの腕を取り、空いた手で男の胸筋に手を当て、突き飛ばすように押して、言った。
「俺の女に触るなよ」
 ガングロ男はきょとんとしている。九条さんも、目を丸くして僕の方を見ている。
「逃げよう、九条さん」
 そのまま僕は九条さんの手を握り、ふたりとも裸足のままで砂浜を駆けた。相手になんてしなくていい。こういうのは逃げるが勝ちだ。
「ちょ、待てよ!」
 ガングロ男は僕たちを追おうとして、砂に足をとられ、転ぶのが見えた。
 もう追ってこないぞ、というところまでしばらく走り、はぁっと深い息を吐く。肩で息をし、呼吸を落ち着かせている時に、ずっと九条さんの手を握っていたことに気づいて、「ご、ごめん」とあわてて手を離す。
「あ、靴とかもあとで取りにいかないとね! もうあいついなくなってたらいいけど! でも、とりあえず無事でよかった! うん!」
 ずっと手を握っていたことが不快だったのか、九条さんが顔を上げてくれない。こっちを見てくれない。僕は不安になってくる。何か選択肢ミスをしてしまったか。あそこは男として勇敢に立ち向かわなければいけなかったのではないか。
「あ、あの、沖内くん」
 僕が何か弁明をしようとする前に、九条さんが声を発する。顔は、地面に向けられたままだ。
「ありがとう……」
 夕日のせいか、怒っているのか、とても顔が赤い。せめて嫌われていなければいいな、と僕は思う。

 その後、放置されっぱなしだった靴を持って僕らを探してくれた唐沢と名越さんと合流し、何があったか九条さんからの説明を聞いた名越さんが「それは大変だったね。ありがとう沖内くん。友里ちゃんを助けてくれて」と褒めてくれたし、唐沢も「ふたりに怪我がなくて良かった」と労わってくれた。
「友里ちゃんも、ちゃんとお礼言った?」
「い、言ったよ!!」
「……友里ちゃん?」
 あれから九条さんは僕と目を合わせてくれないし、交わす言葉もどこかぎこちない。やはり何かミスをしてしまったようだ。きっと彼女の期待する行動をとれなかったのだ。それでも結果として無事に済んだのだから、それはそれで良しとしなければ。
「……ふうん」
 名越さんはそんな九条さんの様子を見てから、ちらりと僕に視線を向けて、何を納得したのか、頷いた。

 すっかり日が沈み、世界から明るさが薄くなっていく。
 バイトがあるから、という九条さんと熱海駅で別れ、残ったのは僕と唐沢と名越さんの三人になった。
「……ほ、本当にいいの、名越さん」
「えー、だって、せっかくなら三人で帰った方が楽しいし」
 名越さんがにこりと微笑む。
 一緒に九条さんと電車で帰るとばかり思っていたのだが、「私は時間に余裕があるから」と、唐沢の車で帰りたいと三十分ほど前に提案をしてきたのだ。あのアクロバティックな運転に付き合うのは地獄だよ、とこっそりと教えてあげたけれど、それでもいいのだという。味わってないからそんなことが言えるんだ。当の唐沢は「全然いいよ」と平然としている。こっちの気も知らずに。まったく。
「じゃあ、私は車とってくるから。ふたりはここで待ってて」
 唐沢が、昨日車を停めたコインパーキングへと向かったので、駅前には僕と名越さんのふたりだけになる。そこにベンチがあるよ、と名越さんが指差した。建物の死角のような場所にあるベンチで、人もいないし、通行人にも見えづらそうで、待つにはうってつけの場所だと思い、ふたり並んで座った。
「沖内くんってさ」
 座るのとほとんど同時に、名越さんが訊いてきた。
「友里ちゃんのこと、好きなの?」
 思いがけない唐突な質問に、なんて答えていいものか、戸惑う。嫌いなわけはないが、僕自身そこの感情はよくわかっていない。ゼミ仲間として、友達としてなら好きと断言できる。しかし、おそらく、そういうことを訊きたいわけではないだろうことはさすがにわかる。
 どうにか言葉を紡ごうとした、その時。
 なんだか名越さんの顔が近いな、と思った、その時。
 その瞬間には、距離は、ゼロになっていた。
 
 名越さんの唇が、僕の唇と重なっていた。



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