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同じクラスのオナクラ嬢 第10話

 バイトを終え、私服に着替えた私は、二階の部屋から一階のバーへと向かう。階段を降りながら思うことは、さっきのマゾ紳士のことだ。どうして、顔を脚で踏まれると嬉しいのだろう。喜ぶのだろう。たくさん足裏の匂いを嗅がれたのは気持ち悪かったけれど、本当にただ顔を踏んでいるだけで勝手に射精してくれたので楽ではあった。けれど、それに快感を覚えるというのがやっぱりよくわからない。男の人はみんなそうなのだろうか。勉強のためにもあとで蔵人ママに聞いてみよう。
 そういえばもうゼミのみんなは自分の家に帰っただろうか。私もみんなと一緒に帰りたかったな。
 そんなことを考えながら、バーのマスターである蔵人ママに仕事が終わったことの報告と、ついでに飲み物でも貰おうとカーテンを開けて店内を覗くと、見知った顔があり、私は慌てて隠れる。
「ほんっとに不器用ねえ、梨奈ちゃんは」
「だって、もうどうしていいかわからないんだもん……」
 カウンターでカクテル片手に顔を赤くして蔵人ママと話しているのは、同じゼミの神永梨奈さんだ。カウンターに座っているお客さんは彼女だけのようだが、どうして彼女がこのお店に。
「だいたい、その男を振ったのは梨奈ちゃんなんでしょ? どうして今更よりを戻したいなんて思ってるのよ」
「彼って、本当に優しいのよ、信じて」
「別に疑ってないけど」
「今まで付き合って来た男とは全然違う。本当にいつもあたしのことを気遣ってくれて、優しくしてくれて……楽しかったなあ。あの時が一番、あたしの人生の中で素敵な時間だった。あ、ママ、何その顔。振らなきゃ良かったじゃない、とでも言いたそうだね」
「振らなきゃ良かったじゃない」
「だってさあ! あたしだよ!? あたしみたいな性格の悪い女とつき合わせるなんて、申し訳なさ過ぎて! すっごく良い人なのに! 才能もある人なのに! あたしなんかに彼の時間も才能も使わせるのなんて、勿体ないじゃん!」
「……それで、自分から身を引いたの?」
「彼にとっても悔いが残らないように、あたしのことをめちゃくちゃ嫌いになってもらえばいいと思って、できるだけ彼を傷つける言葉を言って、別れた」
「いい女じゃない、嫌いじゃないわよ」
「でも、最近、また同じ時間を過ごす機会が増えて……やっぱり好きだなぁって思って……吹っ切ったつもりだったのに……また好きになっちゃって……」
「諦めが悪い女ね、嫌いじゃないわよ」
「でも、ママの言う通りじゃん! 今更! あんな別れ方しちゃったのに、今更どう接していいかわからなくて! 会ってもつっけんどんな態度とっちゃうし! もっとちゃんと話したいのに! 気持ち伝えたいのに! 今日だってそう! どういう顔で会えばいいかわからなくて、全然眠れなくて! またちゃんと話しかけられなかった! 最悪!!」
ごくごくとカクテルを飲み干し、「おかわり!」とグラスを蔵人ママに向ける。
「呑み過ぎよ、梨奈ちゃん。ソフトドリンクにしときなさい」
 蔵人ママが、グラスに冷たいルイボスティーを注ぐ、静かにカウンターに置いた。
 そうなんだ。神永さんに、そんな人がいたんだ……。
 聞いてはいけないことを聞いてしまったような気がする。彼女の為にも聞かなかったことにしないと。しかし、あの可愛い神永さんが好意を持っているというのに、それに気づかない男も男だ。一度その男の顔を拝んでみたい。きっとどうしようもなく間抜けな面をしているのだろう。
「ママ、あたし、あたしが嫌い……」
「あら、どうして」
「同じ環境に、可愛い子ばっかりいてさ……。今はまだ誰とも付き合ってないみたいなんだけど……。彼の幸せのために身を引いたのに、今は、彼が幸せになるのが耐えられない……。それも、他の女と幸せにでもなったりしたら、あたし、どうなるかわからない。その子を、どうするかわからない。そんなことを考えちゃう、醜いあたしが嫌い……」
 神永さんはカウンターに突っ伏し、肩を震わせる。泣いているのかもしれない。
「若いわねえ」
 蔵人ママは洗ったグラスを拭きながら、ほうと息を吐く。
「前見てたドラマで、神は乗り越えられる試練しか与えない、なんて台詞があったのだけれど」
 蔵人ママの言葉に、何を言いだすのか、と神永さんが顔を上げた。
「私、あの台詞、大嫌いなのよ。なら、亡くなったりしていった人たちは、乗り越えられなかった人なのか、って。もし世の中にある辛いことが、理不尽なことが、本当に神からの試練なのだとしたら、神様如きが何様なのよって、ムカつくのよね。しかも仮にそれを乗り越えたところで、神が、ほら成長できただろ、みたいに手柄や達成感を横取りしてる感が、すっごく腹が立つ」
「えっと……」
 これは何の話なのか、と神永さんが眉をひそめた。私も同じ表情をしていることだろう。
「私が言いたいのは、神様なんてこの世にいないってこと。いたとしても役に立たない無能ってこと。だから、信じられるのは結局自分だけだし、何かを達成したら、自分で自分をめちゃくちゃ褒めて労わるべきだってこと」
「……また、やり直せるかな」
「さあね。それは、あなた次第よ」
 神永さんが、ずずーっと鼻をすすり、ルイボスティーを一気に飲んだ。
「ありがとう、蔵人ママ。私、やる。頑張る。絶対にまた彼を振り向かせて見せる!!」
「決意を固めた女、嫌いじゃないわ!!」
 がしっと握手を交わすふたり。いったい何をしているのか。
 私は壁にもたれ、天井を見上げた。
 凄いな、みんな。恋愛とか、私にはよくわからないや。
 そう思ったとき、頭の片隅に、沖内正くんの顔が浮かんだ。
 あれ……?
 記憶から脳に映し出された光景は、今日の海での彼の姿だ。
 ナンパしてきた男から、私の手をとって助けてくれた彼の姿だ。
 なんで、今、沖内くんが出てきたんだろう?
 とりあえず、あとで改めてお礼の電話でもしようかな、と私は思う。

 蔵人ママに報告や相談をして、家に帰ってきたのは、夜の十時過ぎだ。玄関の扉を開けると「お帰りなさい」と紫乃が出迎えてくれた。
「ただいま。ご飯は食べた?」
「うん。おねえの分も、一応、テーブルの上にあるけど」
「じゃあ、ちょっと貰おうかな。あ、でも先に手洗ってくるね。と、その前に」
 私は、熱海で買った温泉まんじゅうをビニール袋から取り出した。
「これ、お土産。ごめんね、昨日はひとりにして」
「わ、ありがとう。でも別にもう子供じゃないんだし。留守番くらいできるよ」
「17歳はまだ子供でしょ」
「そうかな」
「そうだよ。じゃあ、手洗ってから行くから。リビング、先に戻ってて」
「はあい」
 紫乃は車椅子のハンドリムを操作し、回転をして戻っていった。

 食事とお風呂を済ませ、紫乃が寝たのを確認してから、自分の部屋に戻り携帯電話を取り出す。時間はもう午前0時近い。今連絡するのは迷惑だろうか。でも、こういうのは早めにしておいた方がいいだろう。私は一度深呼吸をしてから、沖内くんに電話をかけた。すると、ワンコールもしない内に出られたので、慌ててしまう。
「あっ、こ、こんばんは! 沖内くん!? 私、友里です! ほら、同じゼミの! 可愛いでお馴染みの!」
『あっ、九条さん!? こ、こんばんは! 存じてるよ! 美人だよね!!』 
 なぜか向こうも慌てていたので、少し落ち着きを取り戻した。
「ごめんなさい、こんな時間に。今、大丈夫?」
『あ、ああ! うん! 大丈夫だとも!』
 やっぱりなんだか反応が少しおかしい。もしかしたら眠りかけだったのかもしれない。だとしたら悪いことしちゃったな。
「あの、ね。今日、ありがとう。海で、私のこと助けてくれて。嬉しかったから、お礼したくて」
『え? そんな、別にいいのに。九条さんが無事で良かったよ』
 その言葉に、胸がドキッとなる。この感情はなんだろう。
「でも、お礼しないと、こっちの気が済まないから! だから、明日大学で、どこかのタイミングで会えないかな?」
『会うのは全然大丈夫だよ。三限目が講義ないから、そこはどうかな?』
「わかった。じゃあ、またあとで連絡するね」
『うん』と返事をして『……なんか、九条さんと話せて良かった。声が聴けて嬉しかった』
「えっ!?」
 携帯電話を握る手に、ぎゅっと力がこもる。
『じゃあ、また明日。おやすみなさい、九条さん』
「あ、はい……。おやすみなさい、沖内くん……」
 通話が切れる。少し顔が赤くなっている気がする。なんで。どうして。少し体調でも崩したのかな。
「おねえ、誰と電話してたの? 彼氏?」
 紫乃がドアを少しだけ開けて、にやにやとしながら覗いていた。
「こ、子供は寝なさい!」

 翌日、一限目の『政治学』を受け終え、沖内くんと約束をした時間までまだ大分時間があるなぁと特に目的もなく構内をぶらぶらしていたら、角から勢いよく曲がってきた人とぶつかった。転びこそしなかったけれど、壁に頭を打ちそうになった。
「いった! ねえ、気をつけて――」
 ぶつかってきた相手が顔を上げる。それは、私がよく知っている人物で、浮かべている表情は、初めて見る表情だった。
「あれ、唐沢さん……」
 ジャージ姿の唐沢晶さんが、潤んだ目を私に向けた。瞼は少し赤く腫れている。
「あ、九条さん、ごめん」
 そう言いながら、唐沢さんが目元を拭う。
「え、え、どうしたの。何かあったの」
「なんでもない。大丈夫だから。ぶつかってごめん。それじゃ」
 私の横をすり抜けようとした唐沢さんの肩を強く掴み、引き留める。
「なんでもなくないよ! 泣いてるじゃん! 放っておけないって!」
 唐沢さんの両頬に手を当てた。しばらく彼女と見つめ合う時間が続く。次第にその瞳が揺らぎ、端から涙がぽろぽろと零れた。
「う……うあぁ……っ」
唐沢さんが泣き出してしまう。私は唐沢さんを抱きしめ、背中に手を回した。
 とりあえず人気のないところに行こう、と学校の外れ、講堂近くにあるベンチまで連れて行き、近くの自動販売機でカフェラテを買って唐沢さんに手渡した。唐沢さんは「ありがとう」と受け取り、缶を両手で包む。移動している間に少しは落ち着いたようだ。
「ごめん、強引に連れてきちゃって。話しづらいことだったら無理には聞かないけど、私で力になれることなら、なんでもするから!」
 唐沢さんは隣に座る私を見て、ふっと息を吐いた。
「……優しいね、九条さんは。ただのゼミ仲間にさ」
「ただのゼミ仲間じゃないよ、私たち友達じゃない」
「……友達」
 唐沢さんは小さく呟くと、ふふっ、と先程とはまた違う種類の息を吐く。
「そっか、友達だったんだね」
「え、ち、違うの……?」
 私がそう思っているだけだったとしたら恥ずかしい。
「いや、そうだね。友達だ、うん」
 唐沢さんが俯き、手の中で缶を転がす。
「いいよね、友達の関係ってさ」
「……唐沢さん?」
「自分では自覚がなかったのかもしれない。いや、気づかないようにしていたのかな。きっと、私は、そいつのことが好きだったんだ」
 そいつ?
「好きな人と、何かあったの?」
「ああ。キスされた」
「えっ!!!」
 仰け反る私を見て、唐沢さんが笑う。
「驚き過ぎだよ。九条さんなら、それくらい何度も経験ありそうだけど」
 え、ないですけど!?
 私がそういう方面の経験が豊富、みたいに言ってくる人多いけど、どうして!? 訂正するのもそれはそれで恥ずかしくて誤魔化してきたツケが回ってるの!?
「で、でも、好きな人とキスするのは、良いことなのでは……っ!」
「……そういうことをいきなりしてくる奴だとは思わなかったから。驚いたし、ショックだった。こっちの気持ちを、何も考えていないのかと幻滅しちゃったんだ」
「そ、そうなんだ……。でもそれは、そいつが悪いよ!」
「もう二度と話しかけるなって、言ってしまった」
「そりゃそうでしょ! もうそんな奴とは絶縁した方がいいって!」
「でも……」
 両手で持った缶に、唐沢さんは、こつんと額を当てる。
「そんなことされても、やっぱり好きみたいで、どうすればいいか戸惑ってる……」
 ええええええ……。
「少なくとも、もう話さないような関係になるのは、嫌だ……」
「な、なら、素直にそう言えば?」
「でも、今日してきたことは許せない……」
「そ、そうだよね」
 恋愛って難しい。よく世間のみんなはこんな高度なことをしているなと感心する。
 唐沢さんは、ふうと長い息を吐き、缶のプルタブを引いて、カフェオレをごくりと口にした。
「ありがとう、九条さん」
「え」
「気持ちを話せて、少し楽になった」
「あ、それなら、良かったけど……」
 私、なにもしてない……。
「今度代わりに何か奢るから。借りは返すよ。本当にありがとう」
 立ち上がり、深々と礼をして、缶を持ったまま立ち去ろうとする。まあ、少しでも気分が晴れたのなら私がしたことも無駄じゃなかったのかな。
「あ、そうだ」
 立ち止まり、振り返った唐沢さんの表情は、少しだけ恥ずかしそうだった。
「私が泣いてたことは、みんなには秘密にしておいてくれると嬉しい」
 うん、と私は頷く。そんなことを言いふらすわけない。
 あ、でも、唐沢さんと仲の良い沖内君には相談した方がいいんじゃ、とも思う。唐沢さんを泣かせるような酷い男は、沖内くんだって許せないはずだ。話せばきっと協力してくれるだろう。でも、その時はきっと唐沢さん本人が沖内くんに相談するだろうから、余計なお世話なのかもしれない。
 唐沢さんと手を振って別れ、携帯電話で時間を見ると、沖内くんとの待ち合わせ時間がもうすぐ迫っていた。




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