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同じクラスのオナクラ嬢 第2話

 はぁ、と溜息をついた僕に、隣の席の唐沢晶(からさわ あきら)が小さな声で話しかけてきた。
「沖内、さっきから上の空じゃないか。何かあったのか」
 今は図書館学の講義の最中だ。僕と唐沢は最後列に横並びで座っている。白岩教授が、スクリーンにパワーポイントを映して、ルネサンス期についての説明をしていた。事前に配られたレジュメに書かれた通りの説明なので、真面目に聴く必要もない。
「上の空……か。唐沢には、そう見えるんだな」
「見える。ずっと溜息ついてるし、手も全然動いていない。あまり見ない姿だ。講義も退屈だし、良かったら話を聞くぞ」
「ありがとう、唐沢」
「いいって。昔からの付き合いだろ。なんでも話してくれ」
 なんと頼もしい友人だろう。僕は感動して泣きそうになる。
「それじゃあ、相談させてもらおうかな」
「おう、どんとこいだ」
「唐沢はさ、九条さんって知ってる? 九条友里(くじょう ゆり)さん」
「九条友里って……あの九条友里か? そんなの、うちの学部で知らない人間はいないだろ。容姿端麗や才色兼備って言葉があれほど似合う女子もそうはいない」
「なら話は早い。その九条さんなんだけどさ」
「ああ」
「僕のことが好きなのかもしれない」
「最近駅前にラーメン屋できたの知ってるか? 家系なんだけどさ。今度一緒に行こうぜ」
「どうして話を逸らすんだ、唐沢!」
「あ、ああ。いや、悪い。まあ、ありえないってことはないよな。確かにお前は秀才だし、顔だって悪くはない。ありえなくはない。うん。でもな、どうしてそう思ったんだ?」
「さっき、昼休憩中に、学食で本を読んでたんだけどさ。いきなりだよ。いきなり、九条さんが僕の前に座って、言ってきたんだ」
「なんて?」
「金融学のノートを見せてくれないか、って」
「……おう」
「いや、わかるよ唐沢。さすがに僕だって、それくらいで九条さんが僕に好意を寄せていると確定するほど馬鹿じゃない」
「そうだよな」
「でも、続けて彼女は言ったんだよ。僕だけが頼りだ、って。そこで確信に至った。彼女は僕のことが好きなんだ、と」
「至っちゃったのか」
「今までほとんど話したことはなかったけど、恋はいつだって唐突だよ。まさか、あの九条さんが僕を好きだったなんて」
「おめでたいな、お前」
「ありがとう、唐沢。持つべきものは、自分を想ってくれる友達だ」
「本当におめでたい」
「そんなに言ってくれるな。恥ずかしいじゃないか」
「それで、どうしたんだよ。ノートは貸してあげたのか」
「いや、貸してない」
「え。なんで」
「唐沢がアドバイスしてくれたんじゃないか」
 唐沢はきょとんとした顔をした後、「あ」と声を出し、「ああ……」と何故か自分の額に手を当てて、俯いてしまった。
「えっと、そうだな……。ノートを貸さなかったのはまあいいとして、その時、何か言ったりしたか?」
「言ってやったとも。“講義に出ないお前が悪い、留年でもしてろ”ってね」
「あああ……」
「唐沢に言われた通りさ。これで良いんだろ?」
「ああああ……」
 唐沢は机に突っ伏してしまった。そういえば昨晩から今朝まで麻雀をしていたと話していた。相当眠かったのかもしれない。
 それにしても、だ。
 九条友里さんが、自分を好いてくれているとは。
 あれだけの向こうからの好意を目の当たりにしたというのに、いまいちピンとこない。
 それはきっと、神永さんの一件があったからだろう。
 好きだと言われた相手から、唐突に別れを切り出されることは世の中にあるのだ。

 好きだ、と言ってきたのは向こうからだった。
 別れよう、と言ってきたのも彼女からだった。
 神永梨奈(かみなが りな)は僕に初めてできた彼女だった。ボブの黒髪がよく似合い、小動物のような愛らしさを持っている、僕には勿体ないくらいの女性だった。
 ――正くんって、つまらないよね。
 彼女から別れを告げられた日、彼女はそう言った。
 ショックは大きかった。
 高校まで彼女がいなかった僕だったけれど、大学に入って初めてできた彼女が、神永さんだったから。
 初めて、男女でのそういう行為をしそうになったのも、神永さんだったから。
 付き合い始めて一ヶ月程度経った日のことだ。
 今日、家、誰もいなんだ。
 横浜デートをふたりで楽しみ、解散をしようとした時、神永さんは僕の服の袖を引っ張りながら、紅潮した顔で、眼鏡越しの上目遣いでそう言ってきた。
 経験自体はなかったけれど、勉強はたくさんした。知識を得ることは好きだから、いつかそういう日がくるかもしれないと、予習をたくさんした。
 神永さんの部屋で、手を繋ぎ、優しいキスをしながら、彼女のベッドに彼女を押し倒して、高級な陶器を扱うように、丁寧に、繊細に、彼女の透き通るような白い肌を触り、いよいよそういう雰囲気になり、僕がパンツを脱いだ、その時だった。
 えっ、と神永さんは大きな瞳をさらに大きくさせたかと思うと、すぐにそれを細めて、吐息くらいの声で、冷たく言った。

「……ちっちゃ」

 ごめんね、少し、体調が悪くて。
 彼女は微笑んでそう言うと、服を着直し、「また連絡するから」と僕を帰した。
 もうすぐ冬になろうかという季節の変わり目だったから、風邪気味だったのかもしれない。
 僕はそれから、毎日のように『体調はどう?』『あれから悪化してない?』といったメッセージを毎日送っていたのだが、それまでは毎日やりとりしていた彼女から返信が一度も来ることはなく、ようやくメッセージが帰ってきたのはあの日から2週間くらい経ってからで、その内容は、次の通りだ。

 ――もう別れましょう。さよなら。大学で会ってももう話しかけてこないでください。

 そして、最後に。

 ――正くんって、つまらないよね。

 わけがわからなかった。
 先に好きだと言ったのは向こうだったのに。
 先に付き合ってほしいと誘ってきたのは向こうだったのに。
 いったい僕が何をしたというのだろう。
 あの時、相談に乗ってくれたのは、やはり唐沢だった。
 唐沢とは中学の頃からの幼馴染で、ずっと同じサッカー部に入っていたこともあり、僕にとっては友人を超えて戦友とも呼べるような関係だ。
 神永さんに告白された時も、相談に乗ってくれたのは、唐沢だった。
 神永さんに絶縁された時も、唐沢だけは、相談に乗ってくれたのだ。
「お前さ、きっと、優しすぎるんだよ」
 大衆居酒屋で、アルコールを飲んでもいないのに泣き崩れる僕の肩をぽんぽんと叩きながら、唐沢は言った。
「女はわがままな生き物だからさ。なんでも相手の言う通りにしていたらつけあがるだけなんだって。だからつまらないなんてほざかれる。それでまたお前が傷つくのなんて見たくないよ。今度、他の女にアプローチされた時とか、付き合う時はさ、もっと強気に行けよ。それこそ、相手を振り回すくらいに。怒らせるくらいに。そうすれば次はうまく行くって。応援してる」
 さすが、昔から女子にモテていた唐沢の言葉は重みがある。
 唐沢の言うことに間違いはない。
 僕が神永さんと別れたのは、これまでモテてこなかったのは、どうやら僕の優しさが原因のようだ。
 なら、対応策として今度どうすればいいか?
 唐沢の言うことに間違いはない。
 アプローチしてきた女性には強気で行く! 嫌われるくらいの勢いであたっていく!
 そうすれば、きっと、いや絶対に、うまく行くんだ!!
 僕と唐沢はウーロン茶の入った大ジョッキを掲げ、「お互いの未来に幸あれ!」とぶつけ合った。
 あの日の夜のことは、未だに鮮明に思い出すことができる。

「これから僕は九条さんに対してどうすればいいかな」
 図書館学の講義が終わり、学生たち各々が席を立ったり、筆記用具を鞄に仕舞っていたりしている。あれからすぐに起きた唐沢も、次の講義の教室はどこだったかと携帯電話を見ていたが、僕の言葉を受けて、横目でこちらを見てきた。
「……別に、どうもならないだろ」
「そんなわけないだろ。告白されたのに」
「告白はされてない。そうだろ。多分、もう、絡んでこないよ」
「え、え、なんで? どうして?」
「いや、そりゃ、だって――」
 唐沢が何かを言おうと僕に顔を向けるのと、その目が丸くなるのは、ほとんど一緒だった。
 何を見たのかと振り返ると、僕のすぐ後ろに、九条友里さんが微笑んで立っていた。
 教室に残っていたほとんどの学生が、こちら――九条さんの方を見ては「うわ、美人」とか「教室に入ってきただけで良い匂いする」とか「一言でもお話ししたい」なんて口にしているが、そんな周りの声を気にする様子もなく、九条さんは僕に向かって言った。
「沖内くん、次の時間って講義入ってる? なかったら、私、一緒に帰りたいな♥」
 ああ、唐沢が間違えることもあるんだな、と僕は思う。
 ほら、見ろ。絡んでこないわけないじゃないか。九条さんはこんなにも僕のことが好きなのに。
 でも、それでも、僕は唐沢のことを信じている。あの時の教訓がある。もう、神永さんのときのようにはならない。なってはいけないんだ。
 僕は、九条さんの目を見つめながら、はっきりという。

「講義もまともに出ないような低能と僕が帰るわけないだろ。頭わいてんのか」

 何故か、唐沢は頭を抱え、九条さんは頬を引き攣らせていた。




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