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同じクラスのオナクラ嬢 第7話

 横浜駅の中にある喫茶店の前で立っていると、向こうから名越鏡花が小走りでこちらに来るのが見えた。
「友里ちゃん、ごめーん! ちょっと遅れちゃった!」
 はぁはぁと肩で息をしながら、鏡花が手を拝むようにして頭を下げる。ボーダー柄のカットソーが鏡花の身体のラインをいつも以上に細く見せていた。
「大丈夫、さっき来たところだから」
「もー、出かける前に母さんがうるさくてさー。あれ持ったのとかこれ持っていきなよとか。子供じゃないのにね」
 どこか嬉しそうに文句を言ってから、あ、と口を手で覆うようにして、今度は目を逸らしながら「ごめん」と小さく呟く。
「なにが?」
「あ、いや……」
 ばつが悪そうに、顔を俯かせる。
 別に私はなんとも思っていないのに。
「じゃあ、ホームに行こうか」
「うん」
 颯爽と歩き出した私の背中に、「友里ちゃん、逆! ホームはあっち!」と声が届く。
 私は「ちょっとしたギャグですけど?」という顔をしながら、綺麗にUターンをした。

 堀田教授の方針によりゼミ合宿は現地集合・現地解散ということになっていた。横浜駅から熱海駅までは東海道本線で約1時間20分。電車の窓から流れる景色を眺めたり、時間つぶしの為に持ってきた本を読んでいればあっという間に着く距離だ。
「合宿楽しみだなー」
 鼻歌を歌いながら、隣で鏡花が控えめにスイングしている。イベント事は積極的に楽しむタイプではあるが、いつも以上に楽しそうで、見ているこっちも心が和む。
「堀田教授なんて昨日の夜から熱海泊まってるらしいよ。楽しみ過ぎだよね。今朝は私たちが到着するまで釣りしてるんだって」
「鏡花はなんでも知ってる」
「私は誰とでも仲良くなれる系女子だから」
「羨ましいな。私、人見知りだし」
「でもそんな友里ちゃんの友達でいれるのが私は誇らしいよ」
「うわ、これだから誰とでも仲良くなれる系女子は」
 鏡花はふふ、と笑いながら、コンパクトミラーを取り出し、前髪を直している。
「あ、そうだ」
 その姿を見て、まだ伝えていなかったことを思い出した。
「唐沢くんのことなんだけど」
「え、なに? 唐沢くんがどうかしたの?」
 ばっ、と鏡花が顔を私に向ける。鏡が閉じられた。
「今、恋人いないみたいだよ。沖内くんから聞いた」
「そ、そうなんだ! ありがとう友里ちゃん!」
 鏡花の顔にやや赤みが増す。
「へえー、彼女いないんだ。あんなにかっこいいのに。そっかそっか」
「頑張ってね、私、応援してるから」
「友里ちゃん……」
 ぐっ、と親指を立てて見せた私に、鏡花は瞳を潤ませながら、「私、友里ちゃんと友達で良かった」とその指をそっと摘ままれた。
「大袈裟だよ」
「あれ? でもいつ沖内くんと話したの? 昨日別れてから?」
「ああ、うん。偶然図書館で会って」
「今度は喧嘩しなかった?」
「それが、向こうから謝ってきて。今までごめんって」
「へえ!」
「なんか過去に女性関係で嫌なことがあったんだって。その辺はよくわからないけど、それで私に冷たくあたっちゃってたみたい。だから大丈夫。もう仲良くなったよ」
「それは良かった」鏡花が目を細める。「みんな仲が良いに越したことはないからね」
「まあ、仲良すぎても気持ち悪いけど。そうそう、沖内くんと唐沢くん、今日は唐沢くんの車でふたりで来るって言ってたね。あのふたりこそ仲良すぎじゃない?」
「えー、いいじゃない、仲良いの。男同士で仲良いのとか萌えるし」
「萌えるかな……」
「神永さんはバイトがあるからちょっと遅刻して来るって言ってたね。彼女はなんだかいつも忙しそう」
「でも良い子だよね。会う度に私のこと褒めてくれるし」
「良い子……」
 鏡花が眉を寄せる。あまり見ない表情だ。
「正直、私はちょっと苦手かな」
「え? どうして?」
「なーんか、嘘くさいっていうか……」
 そう呟いてから、「まあ、気のせいかもしれないけど」とすぐに笑顔になる。
「まあ、どういう子であっても、この鏡花ちゃんなら仲良くできるんですけどね」
「強すぎる……」
 私は感心して溜息を洩らした。

 熱海に着き、私たちが今夜お世話になる旅館へ向かう。部屋は堀田教授が取ってくれていて、それぞれ個室だ。さほど多くはない荷物を自分の部屋に置いてから、ゼミ室代わりとなる一階の宴会場へ鏡花と向かった。
「おお、九条さんに名越さん。無事着きましたか。おはようございます」
 会場には長机が並べられていて、前面には大きめのホワイトボードも立てられている。その前で、堀田教授がいつものような白いYシャツに黒いベスト、下はジーンズというもうすぐ還暦を迎えるという割には若々しい恰好で佇んでいた。またそれが似合っていて、ダンディな声も相まって、堀田教授の隠れファンはうちの大学に少なくない。
「おはようございます、教授。今朝は魚釣れましたか?」
「ばっちりでしたよ。それはもう立派なクロダイが。夕飯に船盛で出してもらう予定です」
「わぁー、楽しみです! 私、釣りって前に1回だけしたことがあるんですけど――」
 鏡花が誰とでも仲良く話せるスキルを早速発揮している間、私はクリアファイルを机の上に置き、先にいたふたりに挨拶を試みる。
「おはよう、唐沢くん。沖内くんは、どうしたの?」
 席に座っている唐沢くんの横で、沖内くんがぐったりと机に突っ伏している。
「ああ、おはよう、九条さん。それが、急に具合が悪くなったみたいで。車に乗ってからなんだけど。どうしてかわからないんだ」
 沖内くんが何かぶつぶつ呟いているので、近寄って耳を寄せてみる。
「赤信号は停まれ……曲がるときはウィンカーを出すんだ……ブレーキは急に踏まなくていい……車間距離って言葉が世の中にはあるんだ……」
 何があったのか大体察しはついたが、唐沢くんはとても心配そうだ。
「おい、大丈夫か沖内! 何かできることがあればするぞ! 戻ってくるんだ!!」
 唐沢くんが沖内くんの肩を掴み、上半身を起こしてぶんぶんと前後に揺さぶっている。沖内くんの顔色が見る見るうちに蒼くなり、「ちょっとトイレ……」と覚束ない足で宴会場を出て行った。死ぬのかもしれない。
「なにがあったんだ沖内……」
 ぐっと拳を握りながら、唐沢くんが憂いな表情を見せる。きっとお前のせいだ。
 四人が揃ってから遅れること一時間程度してから神永さんも合流し、みんなで軽く昼食を済ませてから、本格的にゼミ合宿が始まった。
教授に出されていた課題の発表、質疑応答、卒業論文のテーマについての話し合い、設定された課題についてのロールプレイング、就職活動対策の討論練習、自己分析等……。私が想定していたよりも、ぎゅっと密度が詰まった時間が流れていく。
「うん、ここまでにしましょうか」
 ぱん、と堀田教授が手を鳴らした。
 その音を合図に張りつめていた空気が緩和し、全員がはぁーっと深い息を吐いた。
「お疲れさまでした。たくさん頭を使ってお腹も空いたでしょう。今日はここまで。夕飯がもう準備されているはずですから、隣に行きましょう。ここのご飯は絶品ですよ」
 教授の言う通り、ご飯はとても美味しかった。上品な前菜から、船盛やてんぷらなどのお魚をふんだんに使った料理、山菜の炊き込みご飯、赤だしの味噌汁など、疲れ果てた身体に染みわたる夕飯で、普段は絶対に食べられないような懐石料理に箸を持つ手が震えた。こんなに堪能しちゃっていいのかな、と申し訳なさすら覚える。
 この旅館は特にお風呂が良いんですよ、と夕食の席で堀田教授が赤ら顔で言った。
 源泉かけ流しで加水や加温を一切していないここの温泉は、毎年温泉ランキングの上位に入るほどで、海が見える広い露天風呂も評価が高い理由の一つだという。特別温泉が好きというわけでもないが、その話を聞いて俄然楽しみになった。
 ひとつだけある大浴場は時間による男女入替システムとなっていて、男性が21時まで、女性はそれ以降のため、入るまでにはまだ時間がある。鏡花を誘って夜の熱海を散歩をし、部屋で少し休憩してから、鏡花と共に大浴場へ向かった。時間は21時30分過ぎで、女性が入る時間になっている。
 部屋も広くて良い感じだね、なんて鏡花と話しながら、それぞれ手にタオルと浴衣を持ち、一階の奥にある大浴場入り口の暖簾をくぐって、脱衣場の横開きの扉を開けた。
 すると、視界に入ってきたのは、人が着替えている姿だ。
 唐沢くんが、オーバーサイズのTシャツを脱ごうとしていて、くびれた腰に、綺麗なおへそが目に飛び込んできた。
「「失礼しました!!」」
 私と鏡花は脱衣場の扉を閉め、お互いに顔を見合わせる。
「い、今の、唐沢くんだったよね」と私。
「そうだよね!? え、腰のライン凄い綺麗!」と鏡花。
「いや、それは今どうでもよくて、あれ、女湯になるのって21時からで間違いないよね?」
「え? う、うん。そうだったと思うし、21時過ぎてたのは確認したけど――」
「ふ、ふたりとも、どうしたの?」
 脱衣場の扉が開き、上半身裸の唐沢くんが困惑した表情を見せてきた。
「わー!! 唐沢くん!! わー!!」
 顔を俯かせ、つい両手を前に突き出すと、ふにゅん、と何か柔らかいものに当たる。
 あれ?
 この感触って……。
 恐る恐る顔を上げると、唐沢くんが恥ずかしそうに身を引き、腕で、膨らんだ胸を隠す仕草を見せた。
「ど、どうしたの、九条さん、名越さん。せっかくだし、一緒に入らない?」
「あ、あの……」
 鏡花が、ふるふると震えながら手を挙げた。さながら授業で先生の質問に答えようとする学生のようだった。
「か、唐沢くんって、女だったりします……?」
 唐沢くんは、一度きょとん、とした顔をしてから、「あー……」とどこか気まずそうに頬を掻き、
「初対面ならまだしも、もう何度も会ってるから、そんな勘違いはされてないと思ってた」
 そう溜息をついて、履いていたスキニージーンズを脱ぐ。
 水色の可愛らしいショーツが見え、股間の部分にはもちろん男性特有のモノはない。
「騙すつもりなんてまったくなかったんだけど、勘違いしていたのならごめん。唐沢晶は、歴とした女です。以後、お見知りおきを」
 その言葉に、私は、ちらりと隣の鏡花に視線を向けた。
 鏡花は、優しい微笑みを浮かべている。
 その笑みを一切崩すことなく、そのまま後ろへとふわりと倒れてしまった。
「きょ、鏡花!!」
「な、名越さん!?」
 ゼミ合宿の夜は、まだ終わりそうにない。




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