見出し画像

過去 その4

※これは2023/12/22に書いたものである。

人は人生の分岐路から逃げようとして(死にたい)と思うことがあるが、これは良くない(死にたい)だと感じた。しかし、死というものは平等に与えられた権利のため、価値基準で死を捉えることこそがナンセンスだと、俺の中の俺が教えてくれた。いちばん大切な友人の幸福を喜ぶことはできても、それを外に発信できない己に嫌気がさす。結局俺は言葉の力を信じているのか、それとも何も信じられないのかどちらなのだろう。(ここで筋肉ルーレットスタート)
本日視聴した終物語で、老倉育が「私は幸せになりたくない。ささやかな不幸に足首まで浸かっていたい。」と言っていた。これは私が去年くらいまでよく考えていたことなのでハッとした。しかし阿良々木も言っていたように、幸せというものはそんな大層なものでは無いため、自身が幸せかどうかは自分自身が決めることでは無いし、まして他人が決めつけるものでもないと思う。

画像は当時これを書いた後近くのエディオンへ買いに行ったクリアファイル。かわいい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?