親露派の「クリミアは本来ロシア領」発言にはうんざりだ
@AleksandrX 2023年8月19日のツイートの翻訳です。(閲覧注意の写真が含まれます!)
では、クリミアがどれほど『ロシア的』なのか...そして、どうしてそうなったのかを見てみよう。
クリミアの原住民はもちろんロシア人ではない。
クリミアの人口が「もともとロシア人だった」という考えはまったく馬鹿げていて嘘だ。
クリミアのもともとの人口はクリミア・タタール人であり、そのほとんどは今では絶滅している。これが彼らの言い分だ。
ロシアがクリミアを残酷に征服したのは1783年のことだった。
その時点で、クリミアには約100万人のクリミア・タタール人が住んでいた。
ロシアは彼らの存在を...不都合だと思った。
結局のところ、もしクリミアに先住民族が住み続けていたら、2023年にロシアの征服者の子孫が『クリミアはもともとロシア領だった』と主張できるだろうか?
帝国である以上、征服された領土に先住民族は存在し得ないのだ。
だから、ロシア帝国はクリミア・タタール人の絶滅を始めた。
ロシア帝国は、クリミア・タタール人のわずかな独立の兆候を残忍な拷問で罰する抑圧的な体制で始まった。
この弾圧があまりに残虐だったため、全人口の半数に当たる100万人のタタール人が恐怖のあまりトルコに逃れた。
彼らの子孫は今でもそこに住んでいる。
先住民の人口は都合よく半減したわけだ。
タタール人の人口はその後も減り続けた。
しかし、ロシアはまだやめなかった - これは始まりに過ぎなかったのだ。
ソビエトが政権を握った時、彼らはその前のツァーリズム(帝国主義)政権よりも更に残忍だった。
ウクライナでホロドモールと呼ばれる、ロシアが人為的に作り出した飢饉の際、ロシアはクリミア・タタール人の食料を全てロシアに送り返した。
兵士達は各家庭の台所に押し入り、あらゆるものを奪った。
食料を買いだめしているところを発見された者は、シベリア行きの終身刑を受けた。
クリミアのクリミアタタール人には、文字通り食料が全く残されなかった。
10万人のクリミア・タタール人が餓死した。
ロシアは、これでもまだやめなかった。
このように先住民が排除されていく一方で、彼らの家や財産はどうなったのか?
その答えはもうおわかりですね?
そう、それらはロシア人に奪われたのだ。
タタール人が根絶やしにされると、彼らの代わりにロシアからロシア人が送り込まれ、彼らの家や財産を奪ったのだ。
要するに、ロシアはクリミアの原住民を殺し、ロシア人に置き換えたのだ。
この国の標準的なやり方だ。
しかし、私が言ったように、ロシアはまだやめなかった。
結局のところ、クリミア・タタール人はまだクリミアから完全に根絶されたわけではなかった。
スターリンによる粛清が行われ、秘密警察は街頭で誰彼構わず連行し、血しぶきが飛び散る地下室で残酷な死を遂げた。
この蛮行のもとで、クリミアのクリミア・タタール人の人口は更に減少し、クリミア・タタール人はもともとの人口のわずか19%に過ぎなくなった。
しかし、ロシアはまだやめなかった。
スターリンは、クリミアに残っていた住民全員を、最も恐ろしい条件の下で大量に国外追放するよう命じた。
どのような状況だったかを説明しよう。
まず始めに、20万人のクリミア・タタール人が家畜用の車両で2000マイル離れたウズベク・ソビエト社会主義共和国に強制移住させられた。
強制移住の準備に与えられた時間はわずか15分だった。多くの人々は、自分達が処刑されるのだと信じていた。
強制移住された全ての人々の家は、もちろんロシアからのロシア人によって奪われた。
強制移住の状況は非常に残酷で、8万人が移送中に死亡した。
8万人だ‼︎
到着した人々は、厳しい冬の環境の中で重労働に従事させられた。
こうして更に4万人が死亡した。
ロシアがクリミア・タタール人を追放した条件下では、まず子供達が死んだ。
このとうの昔に亡くなった子供の顔を見て下さい。
彼女がクリミアの真の所有者の一人であったという理由だけで、苦しみと飢えと死に追いやられ、ロシアが彼女の故郷を望んだために殺された。
クリミアでは8万戸が空き家となり、36万エーカーの土地が放棄された。
追放された人々は、たとえ生き延びたとしても、全ての財産を失い、ロシア民族に乗っ取られ、二度と戻って来なかったことを忘れてはならない。
しかし、恐怖はまだ終わっていなかった。
突然、NKVD(国家保安人民委員部)はクリミアのある小さな地域、アラバト砂嘴のクリミア・タタール人がどういうわけか国外追放されていないことに気付いた。
彼らは砂嘴のクリミア・タタール人を強制移住するのが面倒になり、単純に処刑することにした。
ロシア軍は何百人ものクリミア・タタール人を老朽化した船に乗せ、アゾフ海に沈めた!
泳いで逃げようとした者は誰でも機関銃で撃たれた。
これが海岸に流れ着いた死者の実際の写真である。
こうしてロシアは、クリミア・タタール人を彼らの祖国でほぼ完全に絶滅させた。
これが”ロシア領“クリミアの真実の歴史である。
実際にはそんなものは存在しない。
”ロシア領“クリミアなど存在しない。あるのは、もともとの住民を残酷なまでに奪い去り、貪欲で冷酷な民族に奪われた地域だけなのだ。
”ロシア領“クリミアという概念そのものが、想像を絶する残虐な犯罪を認めることになる。
クリミアに対するロシアの「主張」は、単に... ジェノサイドだ。
そしてクリミアの美しい土地は、本来の住民であり正当な権利を持つ人々の血に染まっている。
しかし、ロシアはまだやめなかった!
クリミア・タタール人は今日も抑圧され続けている。
へルソンがロシアの占領下にあった時、私達はクリミア・タタール人が最も頻繁に「失踪」していることに気づいた!
クリミアのロシア占領を逃れてへルソンに来たクリミア・タタール人は、へルソンがロシア軍に占領された時、新たな抑圧に気づいた。
しかし、ロシアはまだ何もしていない!
クリミア・タタール人は今日も抑圧され続けている。
へルソンがロシアの占領下にあったとき、私たちはクリミア・タタール人が最も頻繁に「失踪」していることに気づいた!
クリミアのロシア占領を逃れてへルソンに来たクリミア・タタール人は、へルソンがロシア軍に占領された時、新たな抑圧に気づいた。
彼らはロシア兵に連行され......ほとんどが二度と姿を現すことはなかった。
それだけでなく、ロシアの動員によって、クリミアに残っていたクリミア・タタール人の男性人口の60%が動員された...懲罰大隊の銃の下で大砲の餌として使われるために。
そしてこの下のビデオは、今日ロシアの子供達でさえクリミアでクリミア・タタール人をどのように扱っているか…クリミアの土地で彼らをどのように扱っているかを見せてくれる!
そして今、決定的な、決定的なポイントがある!
クリミア・タタール人の99%が、クリミアをロシアの支配下に移すというモスクワの画策した住民投票をボイコットした!
2014年のこの記事を見てもらいたい...
これは過去100年間のロシアの犯罪を語る私の本。
既に読まれた方も多いと思うが、まだ読まれていない方のために、ここにロシアが過去 100 年間にわたって行ってきたこと、つまりロシアが引き起こした耐え難い苦しみ、何百万人もの死を引き起こしたことの歴史的証拠がある。
写真付きだ。場合によっては、写真を撮った人の子孫から写真を入手したこともある。
これを読んで、真実を知ってもらいたい。
そして真実を知ることで、この邪悪な行動を止めるために行動して欲しい。
ここで一線を引こう。ここまでにしよう。
私達--この世代--がこの邪悪を止めるのだ。
そうすることで、より良い地球を子供達に残すのだ。
私は人類への奉仕と防衛のために書いている。
少額でも寄付して頂ける方は、ぜひお願いしたい。
寄付金は、ウクライナの美術館で破壊された何千もの美術品の代わりに、美術品を再建するための材料を購入することになる。(PayPalリンク↓)
https://www.paypal.com/paypalme/StarOfThePhoenix
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?